3月も半ばになり、チューリップの芽が顔をのぞかせ始めました。いよいよ本格的な春の到来ですね。世界は刻刻と状況が変わり不安は尽きることはないけれど、一日も早く穏やかな日々が戻ってくることを願ってやみません。

さて、先日、松居大悟監督の新作映画『ちょっと思い出しただけ』を観ました。1991年に制作されたジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』のオマージュともいえるこの作品は、松居監督が尾崎世界観さん(クリープハイプ)の新曲「ナイトオンザプラネット」から着想を得て作り上げたのだそう。尾崎さんの心を掴んだ『ナイト・オン・ザ・プラネット』は私にとっても思い出深い映画のひとつだったので、公開前に観たメインビジュアルからぜひ観たいと思っていました。

 
 
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〈STORY〉
2021年7月26日、この日34回目の誕生日を迎えた佐伯照生(池松壮亮)は、朝起きていつものようにサボテンに水をあげ、ラジオから流れる音楽に合わせて体を動かす。ステージ照明の仕事をしている彼は、誕生日の今日もダンサーに照明を当てている。一方、タクシー運転手の葉(伊藤沙莉)は、ミュージシャンの男を乗せてコロナ禍の東京の夜の街を走っていた。目的地へ向かう途中でトイレに行きたいという男を降ろし、自身もタクシーを降りると、どこからか聴こえてくる足音に吸い込まれるように歩いて行く葉。すると彼女の視線の先にはステージで踊る照生の姿があった。

時は遡り、2020年7月26日。照生は部屋でリモート会議をし、葉は飛沫シートを付けたタクシーをマスク姿で運転している。照生は誕生日の夜に誰もいない部屋で静かに眠りにつく。また一年遡り、誕生日を迎えた照生は、昼間は散髪屋で伸びた髪を切り、夜はライブハウスでの仕事を終えたあとに行きつけのバーで常連のフミオ(成田凌)とダンス仲間の泉美(河合優実)と飲んでいた。同じ頃、居酒屋で合コンをしていた葉は、煙草を吸いに店の外に出たところで見知らぬ男から声をかけられ、話の流れでLINEを交換することに。葉のアイコンを見た男が「あれ、猫飼ってるんですか?」と尋ねると、葉は「いや…今は飼ってないけど」と返し、続けて「向こうが引き取ったから」と切ない表情でポツリと呟く。彼女がLINEのアイコンにしていた猫は、いまも照生が飼っているモンジャだった…。

時は更に1年、また1年と遡り、照生と葉の恋の始まりや、出会いの瞬間が丁寧に描かれていく。不器用な2人の二度と戻らない愛しい日々を“ちょっと思い出しただけ”。
(公式HPより)

 
 
 
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主演を務めるのは、池松壮亮さんと伊藤沙莉ちゃん。この二人のシーンが瑞々しくてとってもいい。池松さん演じる照生は、どんなときも穏やかですべてを達観しているように見える。やわらかくてしなやかな色気が漂う佇まいにはどきっとさせられた。一方、向日葵のように明るくて、大きな口をあけて幸せそうに笑う沙莉ちゃんはこの映画の癒やしだった。酔っぱらいの乗客を一喝するシーンやニューヨークの屋敷さんが演じる“見知らぬ男”とのやり取りも最高!

照生の誕生日、7月26日の1日だけを6年間遡っていくという手法はとても新鮮だった。定点観測することで日々のささやかな変化が感じ取れる。6年を通して変わらなかったのは、霧吹きで観葉植物に水をあげ、音楽に合わせて軽く体を動かし、猫のモンジャにごはんをあげる照生の朝のルーティン。きちんと整理整頓された部屋で暮らす照生だが、部屋が散らかっている年は少し生活とココロが荒れていることが伝わってくる。その1日が終わると、次のシーンは1年前に遡るのだから、私たちは、その間、照生と葉がどんな日々を過ごしたのか想像力を働かせる。1年前はどんな二人なんだろう、どんな距離感なんだろうとどんどん惹き込まれていった。

想像力を駆使して点と点をつなぎ合わせながら、私たち自身もふいによみがえってきた記憶を重ねてみたり想いにふけってみたり。こんな風に私たちが自由に想像できる余白の部分がこの作品の面白いところであり、魅力のひとつなのかもしれない。観る人の数だけ「ちょっと思い出しただけ」のアナザーストーリが存在している。これも、数々の作品で手腕を振るってきた松居監督の成せる技なのだろう。2015年の夜まで遡った照生と葉の物語。さてどんな風に着地するのだろうと思っていたところでのラストは見事だった。あぁ、ここにつながっていたのかとストンと腑に落ちたような気がして、ココロのなかを爽やかな風が吹き抜けたようなラストシーンだった。そして、エンドロールにはクリープハイプの「ナイトオンザプラネット」。尾崎さんの想いを託した生命力のある歌詞とあたたかみのある歌声がすべてを包括しているように感じた。

映画を通して、誰もがきっとささやかだけど大切な日々を思い出すのだろう。いろいろなことが慌ただしく過ぎていくなかで、照生と葉に重なり合うようによみがえってきたあの日のこと。そんな“ちょっと思い出した”さりげない瞬間こそが、この先、私たちが一歩を踏み出すための灯であり、これからもずっと私たちをあたため続けてくれるのだと思う。

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 


 
プロフィール用写真shino muramoto●京都市在住。現在は校閲をしたり文章を書いたり。本日(3/5)、東京・両国国技館で行われた「TOKYO GUITAR JAMBOREE 2022」を観ました。錚々たるミュージシャンのアコースティックギターの競演。雄弁に語るギターを存分に味わいながら、垣間見えるキャラクターにも魅せられました。斉藤和義さんは今日も愛のある毒を吐き、布袋寅泰さんのプレイスタイルを真似て会場を沸かせる…まるで和義さんのライブみたい(笑)。トリを飾った布袋さんは全身赤でとてつもないオーラ。そして、アコギバージョンの「バンビーナ」はしびれました。
 
 
 

【shino muramoto「虹のカケラがつながるとき」】
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第36回「名手・四位洋文騎手引退によせて。」
第35回「2020年1月・想いのカケラたち」
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第31回「吉岡里帆主演映画『見えない目撃者』。ノンストップ・スリラーを上回る面白さを体感!」
第30回「舞台『美しく青く』から見た役者、向井理の佇まい」
第29回「家入レオ “ 7th Live Tour 2019 ~Duo~ ”」
第28回「長いお別れ」
第27回「The Birthday “VIVIAN KILLERS TOUR 2019”」
第26回「石崎ひゅーいバンドワンマンTOUR 2019 “ゴールデンエイジ”」
第25回「中村 中 LIVE2019 箱庭 – NEW GAME -」
第24回「MANNISH BOYS TOUR 2019“Naked~裸の逃亡者~” 」
第23回「控えめに慎ましく」
第22回「藤井フミヤ “35 Years of Love” 35th ANNIVERSARY TOUR 2018」
第21回「かぞくいろ-RAILWAYS わたしたちの出発-」
第20回「真心ブラザーズ『INNER VOICE』。幸せは自分のなかにある」
第19回「KAZUYOSHI SAITO 25th Anniversary Live 1993-2018 25<26~これからもヨロチクビーチク~」
第18回「君の膵臓をたべたい」
第17回「Toys Blood Music(斉藤和義 Live Report)」
第16回「恩返しと恩送り」
第15回「家族の風景」
第14回「三面鏡の女(中村 中 Live Report)」
第13回「それぞれの遠郷タワー(真心ブラザーズ/MOROHA Live Report)」
第12回「幸せのカタチ」
第11回「脈々と継承されるもの」
第10回「笑顔を見せて」
第9回「スターの品格(F-BLOOD Live Report)」
第8回「ありがとうを伝えるために(GRAPEVINE Live Report)」
第7回「想いを伝えるということ(中村 中 Store Live/髑髏上の七人)」
第6回「ひまわりのそよぐ場所~アベフトシさんを偲んで」
第5回「紡がれる想い『いつまた、君と~何日君再来』」
第4回「雨に歌えば(斉藤和義 Live Report)」
第3回「やわらかな日(GRAPEVINE Live Report)」
第2回「あこがれ(永い言い訳 / The Birthday)」
第1回「偶然は必然?」

[Live Report]
2017年1月27日@Zepp Tokyo MANNISH BOYS “麗しのフラスカ” TOUR 2016-2017
斉藤和義 Live Report 2016年6月5日@山口・防府公会堂 KAZUYOSHI SAITO LIVE TOUR 2015-2016 “風の果てまで”
GRAPEVINE/Suchmos Live Report 2016年2月27日@梅田クラブクアトロ“SOMETHING SPECIAL Double Release Party”
斉藤和義 Live Report 2016年1月13日@びわ湖ホール KAZUYOSHI SAITO LIVE TOUR 2015-2016 “風の果てまで”