気がつけば、9月に入り少し空気が変わってきたような気がします。アツかった夏もそろそろ終わりかな。
毎年インドアの私ですが、今年は斉藤和義さんが出演されるということで、大阪・舞洲スポーツアイランドで初開催された音楽フェス『WEST GIGANTIC CITYLAND ’17(ジャイガ)』で久々に夏らしい気分を味わってきました。暮れゆく夕陽のなかで行われた和義さんのライブは、久々に昨年のツアーメンバーとのバンド形式。彼らの間に流れる穏やかでアツい空気、そして王道の曲とともに渾身のパワーを注いで披露されたコアな名曲はファンだけでなくすべてのオーディエンスから歓声が上がるほど圧巻のかっこいいステージ! 記念すべき第1回目のジャイガに爪痕を残したチーム斉藤は、やっぱり最強で最高でした。

 
さて今回は、もしこのような機会があったらぜひ書いてみたいと思っていた私の永遠のギター・ヒーロー、アベフトシさんのことを。
 
 
今日のライブは、俺たちの大親友だったアベフトシに捧げます
 

あの日、フジロックのThe Birthdayのステージでチバさん(チバユウスケ)がそう言ってから、今年で8年が経ちました。
みなさんは、アベフトシというギタリストのことをご存じでしょうか?
The Birthdayのチバさんやキュウちゃん(クハラカズユキ)、the HIATUSのウエノコウジさんがメンバーのTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント・2003年解散)のギタリストで、2009年7月に急性硬膜外血腫のため42歳で亡くなりました。ミッシェル解散後、生きていればまたいつか会えると思っていた私にとって、それが叶わぬ夢になってしまった瞬間でした。

 
 
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1998年に発売された「スモーキン・ビリー」。このMVにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下ミッシェル)がすべて凝縮しているような気がします。バンドの勢いやアベの高速カッティングとダイナミックな太い音。観るものを釘づけにし、ココロを掴んで離さないマシンガンのようなカッティングは21cmというアベの驚異的な手の大きさから生み出され、187cmの長身でオーディエンスを威嚇したり長い足を蹴り上げたり飛んだりするパフォーマンスは他に類を見ない圧倒的な存在感でした。ライブ中、すごい形相で仁王立ちになってギターを頭上に掲げる姿は鬼神社と呼ばれることもあったけれど、次はギターソロってときにさえ気持ちが入りすぎてギターを高く掲げていることもあったっけ。自分の感情とギターがそのまま直結しているような人だったように思います。

 
 

 
 

もちろんカッティングだけではなく、メロディアスなフレーズも鳴らしていたアベ。いつもチバのボーカル、メロディーを聴いてフレーズやリフを作っていたのだそう。憂いに満ちた抒情的な「ブギー」は、後にチバも「すごくいい。単純なんだけどね、なかなか弾けないというか、できないというか」と語っていたほど。
アベ本人は感覚で弾いていることも多く「鳴った音が正解!」とよく言っていたのだとか(笑)。

 
私がミッシェルのことを好きになったのはチバのファンだった妹の付き添いでライブに参加したことがきっかけでした。妹が「お姉ちゃんはきっとアベが好きだろうから」とアベの前、最前列を陣取ってくれて(…さすが妹! 私の好みをよくわかってくれています)。でもメンバーがステージに現れたとたん、後ろからぎゅうぎゅうに押され、さらに後ろの人が背中に覆い被さって顔を上げることができなくなってしまいました。腹部に鉄の棒が食い込んで身体はくの字に曲がり、最前列なのに足元しか見れなくて。痛いし苦しいし、でも叫びながら必死で顔を上げたとき、そこにアベの心配そうな顔があったのです。今でも忘れることができません。アベになら足蹴にされてもいいと思っていたので、正直驚きました。一瞬でもそんな顔を見ることができて救われた気がして、なんて優しい人なんだろうと泣きそうになったことをよく覚えています。アベの死後知ったことですが、ステージを降りたアベはとても紳士的でファンに優しく、握手や写真にも応じていたのだそうです。ただふだんは穏やかでも、お酒が入ると手が付けられない一面があったことも有名でした。デビュー当時、チバとアベも飲むと必ず殴り合いのケンカをしていたそうです。でも次に会ったときにはお互いが謝って仲直りしているという…。マンガみたいな、めちゃくちゃ男子の世界じゃないですか(笑)。一度心を許した人とはとことん付き合う。破天荒だけど不器用でまっすぐな人柄が伝わってきます。
 
私のなかにある“かっこいい”のカードをすべて持っていたアベ。顔、スタイル、歩き方、その狂気さえも。ピックをくわえながら、うつむき加減で微笑む顔も、佇まいすべてがかっこよくて愛おしくて。DVDを観ながら、オーディエンスを煽り熱狂させるアベをかっこいいと思えば思うほど、悔しくて悲しくて仕方ない。そして、あの「LAST HEAVEN TOUR」の京都・磔磔で、どうしてもっとちゃんとアベを見ていなかったんだろうと悔しくなるのです。アベはココロここにあらずに見え、私は解散を受け止められずふてくされていたから。ほんの10mほど先にいるアベがとても遠く霞んで見えたのはもしかしたら気のせいではなかったのかもしれません。
 
 
ミッシェルでギター弾いてるからこそ、自分はここにいるんだってはっきり思えるしね
 
 
ミッシェル時代、アベはよくこう語っていました。このバンドでギターを弾ければそれでいいと。解散後もアベはバンドにこだわっていたけれど、ミッシェルのようにハマるバンドには出会えなかったのか、吉川晃司さんの著書『愚 日本一心』で故郷・広島に戻り塗装職人をやっていたと知って愕然としました。吉川さんからライブのオファーを受け上京したアベは、ここでもお酒の席で殴り合いその翌日には謝って、2008年12月のライブに参加。以降吉川さんのことを「アニキ」と呼んで慕っていたというエピソードもアベらしくて。少しずつ復帰への土壌が整い始めてきた矢先の突然の訃報でした。無念としか言いようがありません。
 
精悍な目つきで、まるで自身の魂を削るようにかき鳴らす孤高のギタリスト。誠実で不器用すぎたアベがそのまま乗り移ったような無骨なリフは今でもココロに突き刺さり揺さぶり続けている。この先10年、20年経っても忘れることはない。私たちは、アベフトシという唯一無二のかっこいいギタリストがいたことを語り伝えていくことが使命なのだと思っています。
 
 

最も信頼できるし、尊敬してるし、カッコいい。
あいつの横でずっとギター弾いていたいと思うからね


 
 
今年のオハラブレイクで、チバが「ドロップ」を歌ったと聞いて思わず泣けてしまいました。アベのことを知れば知るほど、ミッシェルのメンバーを信頼していたことがわかる。ずっと、チバの横でギターを弾いていたいという言葉が頭から離れなくて、アベを失った悲しみが癒える日がくるとは思わないけれど、チバがミッシェル時代の歌を歌ってくれることで少しは癒やされるような気がしています。チバでなければ、このやり場のない深い悲しみを癒やしてくれることはできないのかもしれません。アベの盟友たちの活躍が救いであり希望なのです。
 
 

 
 
 


 
shinomuramotoshino muramoto●京都市在住。雑誌編集・放送局広報を経て、現在は校正士、時々物書き。今年初開催だった「ジャイガ」では時間の関係で和義さんと岡村靖幸さん、平井堅さんのステージを。久々に観た岡村ちゃんのダンスに盛り上がり、ライブは初めてだけど一時期聴きまくっていた平井堅さんがとても素敵で満喫しました。ほかのフェスに比べるとのんびりゆったりと観られて穴場かもしれません。来年もぜひ行きたいフェスのひとつです。