先日発売されたギター専門誌に、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント/以下ミッシェル)のアルバムと、ギタリスト・アベフトシの名前が大きく取り上げられていた。そこには、アベさんのギターに衝撃を受けたギタリストの方々から、それぞれの思いのこもったコメントが寄せられていた。亡くなって今年で11年になるが、時を重ねるにつれて伝説として語られることが増えてきた。忘れないという思い、そして多くの人の心の中に留まっていることへの嬉しさと、そのあとに湧き上がってくる言いようのないやるせなさ。あと、10年、20年…経てば懐かしく思い返せるのかもしれないが、今はまだ悲しみが癒えることはない。それほどまでに、アベフトシという存在は大きかった。

 
 
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8th Album『SABRINA NO HEAVEN』(2003年6月21日発売)

 
 

187cmの長身で黒のモッズスーツに身を包み、涼し気にステージに現れる。歓声にニヤリとしながら、うつむき加減にピックをくわえて静かに佇み、その時を待つ。音を鳴らすと、一気にボルテージがあがっていくさまもすべてが魅力的だった。21cmという大きな手から、しなやかにリズミカルに鳴らされる高速カッティング。時には、人斬りのような形相でにらみをきかし、ギターを振り上げ、足を蹴り上げ、オーディエンスを煽る。感情の赴くまま、本能でギターを鳴らす。肉体をすべて駆使して鳴らされるダイナミックで情動的なリフは、その生き様までもが見えるような凄まじさだった。ミッシェル後期になると、高速カッティングに加え、ブルージィで艶のある音が増えたように感じていた。好きな曲は限りなくあるが、2001年に発売された『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』に収録されている「バード・ランド・シンディー」は、渋さの増したギターリフに惹き込まれた1曲。ライブ映像を観るたびに音が違って聴こえ、「鳴った音が正解!」というアベの声が聞こえてきそうだ。アベの使用していたギターで、特筆すべきはオーダーメイドだったことだろう。分身でもあるギターへの想いを丁寧に伝えながら、細部に至るまでこだわって製作してもらっていたといい、メンテナンスにも必ず自分で足を運んでいたそうだ。もともと、気に入ったらそればかりをずっと使うタイプで、ギターとアンプがひとつずつあればそれでいいと語っていたアベ。ライブを重ねるたび、ギターにキズが増えていくこともかわいくて、一緒にライブをやって、どんどん鳴らして大事にしたいと話していた。ライブの体験が、同じようにギターにも沁み込んでいくのだと。ギターに対する並々ならぬ愛情とともに、アベフトシという人の優しさが感じられる。アベの美学がここにあると思う。

 
 

 
 

いつも威嚇しながら蹴り上げた足の先には、アベに熱狂する男性ファンがいた。内心嬉しかったのだろう。ステージを下りたアベは、ファンに優しかったそうだ。握手やサインを求められればするし、声をかけられてもそんなに気にしないと答えていた。また、女性ファンから「かっこよかった!」と言われて、微笑みながら「俺がかっこよくなかったことなんてある?」と返したというエピソードには、あらためてかっこいい人だなぁとため息が出たものだ。


今でも思い出すことがある。ミッシェルの解散ツアー「LAST HEAVEN TOUR」でのアベの表情だ。ずっと、ライブは1本1本、真剣勝負でいくと話していたアベが、明らかに魂の抜けたような表情をしていた。アベの瞳には何が映っているのか、何を思っているのか、まったくわからなかった。ただ、アンコールが終わり、ステージを後にするとき(幕張メッセや磔磔の映像でも確認できるが)、「ありがとう」と言った。そして、これはアベの死後、長きにわたってミッシェルを取材してきたライターさんの記事で知ったことだが、ツアー中の打ち上げの席で、泥酔していたアベが「これからは俺とはもう会わなくなると思うけど…今までどうもありがとうな」とこぼしたのだそう。もう、音楽はしないつもりだったのだろうか…。今となっては、解散の理由なんてどうでもいいと思うけど、何だか泣けた。その後、2006年5月ごろのインタビューを読んだ。当時はKOOLOGI(コオロギ)に参加していたころだろうか。アンプから出るギターの音がずっと好きだと、ギターだけはずっとやり続けたいと話している。一時代を築き、選ばれた人たちしか見ることのできない景色を見て、多くの経験を積んだアベが、やりたいこともまだまだできていないし、学ぶこともたくさんあるから、これからもギターを絶対やめないと話していた。ただ、ギターを弾くだけではダメだったのかもしれない。不器用だけど、まっすぐな人柄がわかる。亡くなる約3年前のことだ。

 
 
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『音楽と人』2006年7月号より
photograph by Tsutsumi Takashige

 
 

2009年に急性硬膜外血腫で42歳という若さで亡くなって10年以上が経った今も、アベフトシという存在が輝き続けているのは、チバさん(Vo.&Gt./チバユウスケ)はじめ、ミッシェルのメンバーの存在があったことに他ならないと思っている。ステージ上だけでなく、打ち上げの席で暴れて手がつけられなくなったアベのフォローをしていたウエノさん(Ba.ウエノコウジ)やキュウちゃん(Dr./クハラカズユキ)。そんな信頼できるメンバーがいたからこそ、アベは極限までギターを鳴らすことができたのだから。彼らじゃなければ、命を削るほどの凄まじいギターは生かされることはなかっただろう。「バンドが自分をかっこよくしてくれる」とよく口にしていたアベ。「俺は、ギタリストではなく、バンドマンだと思っている」と。そして、チバのカリスマ性に惚れこみ、ありったけの信頼を寄せていたのだと思う。


チバさんとキュウちゃんのバンド、The Birthday(ザ・バースデイ)は、今年結成15周年を迎える。メンバーのフジイケンジさん(Gt.)は、アベと同じ広島県出身ということもあり、デビュー前から対バンをしていたり、当時はバイトの情報交換をしたりして親交があったという。The Birthdayに加入後、広島公演の際にアベの墓前に報告したことを明かしている。また、ベースのヒライハルキさんは、ツアーに出る前にはミッシェルの映像を観て、気概を高めるのだという。アベの遺志は確実に引き継がれている。アベが心底大切にしていた人たちによって。


アベフトシという人は、私が好きなカードをすべて持っている人だった。チバの隣で、派手にギターを振り上げたり、ライフルのように構えたりするしぐさ、うつむきながらはにかむ顔も決して忘れることはない。きっとこの先、これほどまでに惹かれるギター・ヒーローに出会うことはないだろう。

 
 
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“TMGE YOYOGI RIOT!” THEE LIVE(DVD)ブックレットより
photograph by KENJI KUBO

 
 

今年ももうすぐ、命日(7月22日)がやってくる。私は、アベは解散後もずっと、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのアベフトシでいたかったのではないかと思っている。今となっては、アベの心中を知る術はないが、江波の街が一望できるあの場所は、今日も穏やかにひまわりが風にそよいでいるのだろう。

 
 

 
 
 


 
プロフィール用写真shino muramoto●京都市在住。現在は校閲をしたり文章を書いたり。最近、よくネットニュースで見ているのが、高校生棋士・藤井聡太七段の対局の様子。以前、羽生善治九段が、長時間にわたる対局などではなぜか指がそこに行くという「指運」で勝負が決まることがあるとおっしゃっていたことから将棋の世界にも興味を持っています。19日には18歳のお誕生日を迎える藤井七段。先日は高校生らしい笑顔が話題になっていましたね。今後の対局が楽しみです。
 
 
 

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