俺が死んだら棺桶の中は原色ガーベラとかで埋め尽くしてくれ〉(「FULLBODYのBLOOD」より)

「チバユウスケへ献花の会『Thanks!』」が行われた1月19日は、冬とは思えないぐらいの陽気だった。会場であるZepp DiverCity TOKYOにやってきたもののまだ信じられずにいた。絶対克服してまた会えると思っていた。訃報を受けてから、ずっと歌声も映像も受け入れることができなかったけれど…チバさんを前にしたら、やはりありがとうしかなかった。

 
 
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2022年12月の大阪(フェスティバルホール)で観たThe Birthdayのツアー「GO WEST.YOUNGMAN」が最後になった。SE(入場曲)「Sixteen Candles」で登場したチバさんは前日に勝利したサッカーW杯の余韻からかゴキゲンなようすで、会場が静まるのを待ってアカペラで歌い出した。〈花束ブーツ挿して歩いた 君の街でトランペットが泣いた〉。一人ひとりを抱きしめるような優しい声がホールを包み込んだ。リリースを控えた『月夜の残響 ep.』の収録曲「トランペット」だった。鳥肌が立つようなオープニングから「COME TOGETHER」「BECAUSE」「声」などアルバムのラストを飾る爽快なロックチューンが並ぶ贅沢な選曲。チバさんは唐突に「フェスティバ~ル」と言い、思わず会場から笑いがもれる。そのフレーズが気に入ったのか何度も口にするようすがおかしくてメンバーも思わず笑顔。その後自虐のように「…静かなフェスティバルだな」とぽつりとつぶやいたチバさんがとても可愛らしく見えた。

インパクトのあるベースリフからぐいぐいと引きこまれた「LOVE ROCKETS」。久しぶりに聴くことができた「DIABLO~HASHIKA~」はやはり途轍もなくかっこよくて、チバさんのカリスマ性に痺れた。また、この日はちょうど「12月2日」でチバさんの「今日は何月何日か覚えてる?」という問いかけから鳴らされた「12月2日」はヒリヒリするような危うさと重厚な音のうねりに圧倒された。チバさんの隣で歌いながらしなやかに、躍動的にベースを奏でるハルキくん(ヒライハルキ)。フジケンことフジイケンジさんはアツくてメロディアスなフレーズを投下し続け、キュウちゃん(クハラカズユキ)は観客の心臓に力強いドラミングを何度も撃ち込んで魅せた。彼らの鳴らす音にどれほど心を揺さぶられ、どれほど奮い立たせてもらったことだろう。

 
 

 
 

私にとってチバユウスケという人はひかりだった。1996年にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)でデビューして以来、常に第一線に立ち続けていたチバさん。あのしゃがれた声が咆哮のように放たれた途端、世界が変わる瞬間を目の当たりにしてきた。野性的で凄みがある目で観客と対峙しながら歌う。鬼気迫る表情でグレッチをかき鳴らし、巧みにブルースハープを操る。マラカスやタンバリンを手に軽やかなダンスを見せ、時には客席に蹴りを入れ「歌え」とばかりにマイクを向ける。私たちは、その輝ける存在に近づきたくてもみくちゃになりながら手を伸ばし続けていた。黒のモッズスーツというクールなビジュアル。本能のまま鳴らされる情動的でソリッドなミッシェルのライブは唯一無二で、解散時にはひとつの時代が終わったような気がした。

実際、ミッシェルを超えるものはないと、解散後も活動を続けるチバさんから離れたファンも少なくないだろう。“アベ派”だった私も複雑な感情が拭えず、しばらくチバさんを頑なに遠ざけていた。でも、アベフトシの死後、危篤の知らせを受け広島の病院まで駆けつけていたこと、The Birthdayのステージで「俺たちの大親友」と哀悼の意を表していたことを知った。それぞれの道に進みながらも交流を続けていた二人。アベが生涯信頼し続けたチバさんのことをもっと知りたいと思った。止まっていた時間を遡り、貪るように読んだ数々のインタビュー。ぶっきらぼうにも見える短い言葉のなかに、一貫した音楽への情熱と哲学が詰まっていた。チバさんのなかにアベが生き続けていることを知って、チバさんをずっと追いかけていくと決めたのだ。

 
 

 
 

常に「ただ音楽をやりたい。好きな音楽を作って、人に聴いてもらいたい」と純粋に音楽へ向き合い、自分が痺れる音、心を震わせる音楽を追求してきた。ギラギラとした目で相手に噛みつくような尖ったミッシェル時代から、ROSSO、Midnight Bankrobbersなど数々のバンドを経てThe Birthdayにたどり着いたとき、その目は凪のように穏やかだった。いくつもの悲しみと深い傷を負い満身創痍の日々もあっただろう。それでもなお「死ぬまでギターを弾いて歌いたい」とひたむきに進み続けるチバさんに真の強さを見たような気がした。あるインタビューで「ムカつくことにもムカつかなくなりたい」と語っていた。いろいろなことを肯定できるようになりたいのだと。もしかしたらその思いは、昔からずっと変わらないのかもしれない。ただ、それらを隠すことなく自然に出せるようになってきただけなのかもしれない。感性のままに綴られる文学的な歌詞には、キャンキャン喚く犬を蹴とばしたり、カレーパンの中からブローチが出てきたり、くそメタルババァなどと悪態をついたりもするが、チバさん流の愛があふれている。どんな世界であってもキラーワードやロマンティックなフレーズを包括して、ひかりが射すほうへと舵を切っていく。誰一人として置き去りにしない、「なんなら俺と一緒にいこうぜ」ともれなく救い上げていく、そんなチバさんが見えるようだ。周囲の「人」すべてに愛を注ぎ、「人生は誰と出会うか」だと「人」によってもたらされるさまざまな化学反応を面白がっていた。アベフトシの加入でミッシェルが開花したように、ケンジさんの加入でThe Birthdayに新しい風が吹いたように。

また、The Birthdayのライブだけでなく音楽仲間たちとのセッションでも、個々が生み出す無限の可能性を楽しんでいた。曲作りの現場でもきっとそうだったのだろう。セルフライナーノーツ(CDの特典映像)などにも、チバさんが誰よりもはしゃいでいるようすが収められていた。チバさんが持ち込んだ曲を歌い出すとメンバーが一人ひとり音を重ね、たちまちセッションが始まる。「いいねいいね!」と盛り上がり、みんなでわいわい言い合って、想像以上のかっこいい曲ができたと嬉しそうに話していた。時には、自信満々で持っていったのに(メンバーの)反応が悪くボツになり、心が折れることもあるのだそう。逆に、この曲をどうしても入れたいとゴリ押しするメンバーがいたり、チバさん自身も負けずにゴリ押ししたり(笑)。そんな微笑ましいThe Birthdayが大好きだ。そして、そんな過程を経て完成した自信作を早く観客に届けたい、「みんなを喜ばせたいなって思っちゃうんだよね」とはにかむチバさんが大好きだった。

 
 

 
 

「俺はあたたかいほうが好きだな」とよく言っていたチバさんの声が聞こえてくるようだった。さすが“晴れバンド”だ。「チバユウスケへ献花の会『Thanks!』」には、私たちファンだけでなく、音楽仲間や関係者の方たちの参列も多かったのだという。Zepp DiverCity TOKYOの(地下)入口に近づくにつれてロビーからもれ聴こえてきたのは「Sixteen Candles」だった。いつも私たちが心待ちにしていたSEが、今日は物悲しく聴こえて胸がいっぱいになった。そして、献花として一人ひとりに鮮やかなガーベラが渡された。「FULLBODYのBLOOD」の一節からだろうか(冒頭)。チバさんがどれだけ愛されていたかが瞬時に伝わってきた。周りの誰もが一言も発することなく、こみ上げる想いを必死に堪えている人、人目を憚らず号泣している人…。みんな思いは同じだった。

会場からはチバさんの歌声がエンドレスで流れ、満天の星が煌めくステージにはイーゼルを見立てた深紅のカーテンの中央にチバさんの写真が飾られている。マイクを高く掲げるチバさん。写真家の新保勇樹さんが撮られた写真だった(「VIVIAN KILLERS TOUR 2019」@Zepp DiverCity TOKYO)。きっとチバさんのお気に入りの1枚なのだろう。ペンダントライトとステージに置かれたキャンドルがチバさんが立つはずだった場所を厳かに照らし、星を象った真っ赤なガーベラと白いユリが敷き詰められた祭壇には、16本のキャンドルのほかマリア像、大小のスカル、サボテンなどが鎮座していた。チバさんが亡くなった11月26日は、2023年に予定されていたツアーの最終日だったのだという。いつもと同じようにセッティングされていたグレッチもアンプもマイクスタンドもペルシャ絨毯も、チバさんの帰りを待っていただろう。そしてチバさんもこの場所に戻ってくるために闘っていたのだと思うと胸が締め付けられた。

参列していると「くそったれの世界」が鳴り響いてきた。アンコールで缶ビールを片手に上機嫌で登場するチバさんの姿が浮かぶ。観客を見渡して乾杯し、みんなが静まるのを待ってオフマイクで歌い出すと、たちまち大合唱になった。嬉しそうに何度もうなづくチバさん。ケンジさん、ハルキくんからも笑顔がこぼれる。キュウちゃんの威勢のいいカウントから会場中が弾け、サビの部分でチバさんはニコニコとマイクを観客に向ける。そんな幸せだった光景が一気に甦ってきた。その場にいた誰もが心のなかで「I LOVE YOUは最強」と叫んでいたに違いない。茶目っ気たっぷりに笑い、「またね」と去っていく猫背のうしろ姿が今も目に焼き付いている。もう、この光景が戻ってこないことが、ただただ、悔しい。

 
 

 
 

4月に、新曲3曲を収録したEP『April』がリリースされることが発表された。チバさんが治療に専念する直前まで制作を続けていた音源たちをメンバー3人で完成させたのだという。…いろいろとこみ上げるものがある。チバさん、つらいなか私たちに新曲を届けてくれるキュウちゃん、ケンジさん、ハルキくん…そして関係者の方々には感謝しかない。でもこんなことを言ったら怒られるだろうか。チバさんが遺してくれた大切な新曲を早く聴きたいと思う一方で、現実と向き合わなければいけないことが怖い。もし願いが叶うなら、チバさんの思いを繋いで、どうかThe Birthdayを続けてもらえないだろうか。あのとき「アベの分まで歌い続ける」と遺志を継いでくれたチバさんにどれほど救われただろう。どれだけ時間がかかっても、どんな形式であっても構わない。大好きなThe Birthdayにまたステージで会いたいと心から願っている。


チバさんは、もしかしたら、(お父様と同じように)タバコとビールはこっそり隠れて嗜んでいたのだろうか…(“肺ガンのくせにタバコも酒もやめなかった。病院のベッドの下には空になったワインのビンが何本も隠してあった”「チバユウスケ詩集 ビート」より)。いつも仲間たちに囲まれて笑っていた顔を想う。一見、ぶっきらぼうだけど、誰よりも強くてあたたかいロマンティストだった。ロックを貫き、超然としたその生き様がチバユウスケの品格だったのではないかと思っている。〈アイラブユーは言わないでおくよ〉(「バタフライ」より)がずっと心のなかで鳴り響いている。いつもストレートに愛を伝える人がなぜ言わなかったんだろう。そんなところもチバさんらしくて最高だ。またいつの日か。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 


 
プロフィール用写真shino muramoto●京都市在住。現在は校閲をしたり文章を書いたり。チバさんの訃報は堪えました。実は今もチバさんがいないことが信じられなくて、きっとこの先も事あるごとに現実に直面して立ちすくんでしまうんだろうな。本当に宝みたいな人だったなと思います。
 
 
 
 

【shino muramoto「虹のカケラがつながるとき」】
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