kazusou_oda_2016main_l
 
 
9月10日に「小田和奏バンドワンマン“響きあった夜を越える”」を渋谷7thFLOORにて開催する小田和奏。この日は、昨年から3部作『日々に舞う』『日々を射す』『響きあう』をリリースし、ツアーをまわってきた彼のひとつの集大成ともいえるライヴになるだろう。No Regret Lifeの解散から3年が経ち、ソロ・アーティストとして音楽への探究心を突き詰めてきた。今回のインタヴューでは、その3部作にまつわる話はもちろん、別名義であるCodaとしての活動や、熊本大分地震により発足したプロジェクト・long slow distance project.のことなども訊いた。色んな人との出会いや、キャリアを重ね、音楽家としてよりストイックに、ワクワクするような野心をものぞかせながら活動する今の想いを語ってくれた。
 
(取材・文=上野三樹)
 
 
 

『響きあう』は絵で描けるようなものにしたかったから、

プロット書きから制作をスタートしたんです


 
――まずは3部作『日々に舞う』、『日々を射す』、『響きあう』のお話を。これはライヴ会場と通販限定でのリリースでした。
 
「そう、しかもプレスもしていないというのは、ほぼ初めての試みなんですよ。理由はいくつかあって。いわゆるCD-Rで手作りしていく作業なんですけど、ある程度の枚数だったらプレス業者に発注してジャケットとかのデータも入稿して、だいたい3週間とか1ヶ月弱くらいの時間を経て作るんだけど。流通するとなるとだいたい3ヶ月前くらいにリリースする内容を確定した状態でアナウンスしていったりして、その3ヶ月の中で宣伝方法を考えたりインタヴューしてもらったりという流れがある。でも今回はそうじゃなくて、パッと仕上がったものを即時に届けるみたいなスピード感で、どれだけやれるのかな? って思ったのがひとつ。それと、去年は『どれだけ自分の中から音楽が出てくるんだろう?』っていうのがテーマだったから、出来るだけいっぱい作りたいなという気持ちがあって始めたことだったんです。しかも3枚続けてそれを出す!ってマニフェスト的に言い切っちゃったら、やらざるを得ない(笑)。出来るだけ途切れずにツアーもやりたかったので、自分の鮮度やテンションも落ちないうちに、ライヴもやる、作品がある、来てくれた人に届ける事ができる、というのをやってみようと」
 
――3部作ですよ、という宣誓した上でとりかかったと。
 
「本当は、2015年の間に3枚、出してしまおうと思ってたんだけど。2枚目を作ったところで、このまま地続きで制作をするよりも、ちょっと自分の中にある探究心みたいなものを突き詰めてみたいなと。作品っていう響きに行き着きたいなと思ったんです。ちょっとそこで、作ってた曲とかを全部保留にして、3枚目の『響きあう』を作るまでに時間をかけていったんです」
 
――「作品という響きに行き着きたい」というのは?
 
「色んな呼び方があるでしょ、音源とか、アルバムとか。でも作品っていう響きになると音楽だけじゃない何かを感じるというか。いつも、パーソナルなものにしようとかバンド感のあるものにしようとか、柱になるようなテーマやコンセプトみたいなものがあって作るんだけど。『響きあう』に関しては、一番最初から最後までちゃんと物語としてのひとつの流れがあるようなものにしたいと思って。絵で描けるようなものにしたかったから、プロット書きから制作をスタートしたんです。ちょっと今までやらなかったこともやりたいなと思って。ひとつひとつ、自分のひらめきを待ちながら、色んな人の音楽を聴きながら、本を読みながら、考えて作っていったのが『響きあう』で」
 
――最初は自分の中から出てくるものをスピード感をもって出そうとしたんだけど、更なる欲が出て来た。
 
「そうだね。3部作の前に『Gift』を出したんだけど、あれはアコースティック・ギターを持った自分がバンドサウンドでやったらどうなるんだろうっていう狙いが思いの外、いい形でハマって。ただ、バンド感が強いから弾き語りでツアーをまわった時に落とし所が難しくて。なので、もうちょっとネイキッドなものにしたい、ドラムセットじゃないものでレコーディングしたらどうなんだろう?でもリズムは欲しいからカホンとか入れてみようっていうことだったり。完全に一発録りでレコーディングしてみたり。後は、ピアノという要素もそれまで以上に入れながら作ったのが1枚目の『日々に舞う』だったんです」
 
――『日々に舞う』は「Message」のオーガニック・セッションなるものも収録されていたり。普段の日常生活の中で流れていても心地いいような、そういうサウンド作りですよね。
 
「そうそう、オーガニックっていうのがキーワードのひとつでした。極端な感じだけどハナレグミが自分の家とかで録ってるような日常の音楽というか。そういうテイストで録ってみたかった。〈日々に舞う〉という表題曲と〈ターニング〉を書いた時に、すげえ俺はワクワクしたんだよね。ほんとは〈ターニング〉もピアノを入れるつもりじゃなかったんだけど試しにやってみたら、いい感触があって」
 
――『日々に舞う』におけるワクワクと手応えのまま、その3ヶ月後に『日々を射す』を出すわけですね。
 
「そうそう。これはバンドのアンサンブルにソウル的なファンクの要素を入れて、その中でアコースティックで出来る可能性を見出したいなっていうのがあって。『日々を射す』は一番、躍動感みたいなものがあって、とってもメロディアスな作品かなとも思います」
 
――で、『響きあう』になると演奏も全部自分でやっちゃうという。
 
「ベースもパーカッションも全部やりました。大変だったけど楽しかった」
 
――さっきも言ってた、絵に描けるような作品を目指して?
 
「そう、それをメンバーに話して説明するのも大変だなと思って。だったら1回、自分が全監修、全責任でやってみようと。ソロになって完全にひとりで完結したのって初めてだったし、発見もいっぱいありました。次に自分がディレクションする立場とかでも『こういう風に伝えたらわかりやすいのかな』とか。これ以降の作品や自分の活動に絶対フィードバックがあるなと思って。そういう意味ではとっても勉強になったよね。サウンド的にもファンクっていうと語弊があるかもしれないけど、ちょっと黒い感じの音楽要素をこの3枚目は特に入れたくて。ノーリグの時から培ってきたようなものに、そういう要素がフレーバーとして入ってきたというか」
 
 

自分は死ぬまでに何曲作品として残せるのかなとか、

ほんとに毎日のように考える


 
――ソロになって3年、自分の音楽を突き詰めて。そして自由に音楽やって出したい時に出せるっていうのは作り手にとって大きな喜びですよね。
 
「そうですね。制約がないからこそ自分で制約を作らなきゃいけない。コンセプトやリミットがないとダラダラしてしまうのは、たぶん誰にでも当てはまることで。自由だからこそ自分を律してやりたいんだよね。昔は置いといて、自分は割と締め切りっていうものに間に合うタイプだと思うんだけど。それってギリギリまで自分がいいなと思ったものにどんどん差し替えてアップデートしていく期間なのかなと思う。基本的な土台はパンッと作って、仕上がるところまでどんどんアップデートしていく。この3枚を作りながらそういう作業はすごく面白かった」
 
――ジャッジが早いのかな。こだわり続けて着地点が見えなくなったりするみたいな話も聞きますよね。
 
「作品としてキャッチーなものなのか、が大事だし、聴いてもらって〈いいね〉って言ってもらえるようなものであるか。そこはリスナーも信じてるし、自分のさじ加減もあるし。基本的にキャッチーなものが好きだから、とてもキャッチーな音楽を作ってると思う。音楽的探究心と自分の根幹とのバランスでそれぞれの作品のカラーが決まるのかな。それと『響きあう』の時に自分的に勝手に到達したのは、あんまりネタばらしになるとつまらないなと思うんだけど、あえて7曲にしたのは奇数だからとか、〈You〉から始まって〈We〉で終わってその真ん中に〈I’m music〉があるっていうシンメトリーになってて。〈passage〉と〈baggage〉、〈wonderland〉と〈wander around-emborhythm-〉が対になってるとかね」
 
――そこまで凝るの珍しいですね。
 
「初めてですね(笑)。アルバム全体がシンメトリーになっているその作品の真ん中にある〈I’m music〉では、とてもアシンメトリーな世界を歌っていたりして。歌詞の切り口や曲の置き方にしても、全部プロット書きして作っていったっていうのはそういうところで。結構マニアックな仕掛けがいっぱいあるんだよね」
 
――そういう意味でも『響きあう』はちょっと特殊な作品ですよね。
 
「だけど行き着いたものは1年前にイメージしてたものと全然離れてないんです。『響きあう』って言いながら、ひとりで全部作っちゃう俺の天の邪鬼っぷりも面白いんだけど(笑)。だから作品という響きに自分的に値するものにしたいなって初めて思って、自分はミュージシャンだしバンドマンなんだけど、これはアートとして、アーティストとしての作品なんだと言えるようになりたいなと思ったの」
 
――だからこれまでとは異なるクリエイティヴィティを開花させたというか。
 
「そう、まだ実験途中だけどね。自分の音楽に向かっていく姿勢としてはそんな風に今年の春ぐらいからかな、変わったんだよね」
 
――この1年で3枚、ミュージシャンとしても進化しながら出すことが出来たっていうのはどういう背景があったんですかね。
 
「ぶっちゃけて言うと、いつまで自分は音楽を作れるんだろう? っていう焦りがある。だって、お客さんがお金を払って、ライヴを観たい聴きたいと思って来てくれない限りは、どんなにいい作品を作ってても続かないわけで。そこの、焦りなのか……まあすごく売れてるアーティストではないし、弾き語りっていう一番ミニマムな形がメインの活動になっていて、いろんな事をダイレクトに感じるし、焦りはあるよね。自分は死ぬまでに何曲作品として残せるのかなとか、何曲関われるのかなとか、ほんとに毎日のように考えるんです。ざっくりだけど、1万曲ぐらいは残したいなーとか言っておこうかなって(笑)。世の中的に旬だとか旬じゃないとか、そういうものは確かにあって、でも流行り廃りとは違うところで音楽を作ってるんだけど、たまには風が吹く方向があったりなかったりで、立ち位置を変えれば向かい風が追い風になったりとか、その逆もしかりで。でも、もしも、もっとしんどい時になっても音楽を作りたいなと思うし。もっと状況が膨らんで来た時にでも、変わらず『自分の音楽はこれ』っていうものを作れるようになりたい。訓練って言うと極端だけどね」
 
ーーなるほどね。
 
「やっぱノーリグを始めた時は21とか22歳、解散して33歳、今は36歳で。アラフォーって響きが聞こえてきたりとか(笑)、新しい世代の人たちがどんどん出て来たり、反対にやめる人もいたりしてるけど。だから常に感性というかアンテナの感度はどんどん高めていかなきゃなって。そうじゃないとたぶん作品としての光がなくなる気がする。そういうことをすごく思うし、そう思うことで自分のケツを叩いてるし。でもそれ以上に今はいっぱい音楽を作りたいなっていう純粋な欲求があるんですよね。自分が一番最初にギターを弾き始めた頃は飯も食わずにずっとギターばっかり触ってたけど、今もひどい時は8時間〜10時間とかピアノを弾いてたりしてて。〈うわ、もうこんなに時間が経っちゃった!〉みたいなこともあるし(笑)。でもそんなことを積み重ねてもほんのちょっとずつしか技術は上がらないから、色んなプライドも捨ててしまおうと思って、『響きあう』では色んな楽器を自分で演奏したりして下手な部分も全部さらけ出そうと思った。でも、さらけ出したとしても、絶対にそこで終わらないんだっていう自分の中での近未来のイメージがあるから出来たことだと思っています」
 
 

音楽ってやっぱり、人が作ってるんだなと思って

それをすごく実感したのは

『ジョジョ』チームと始まったものの全て


 
――そして今回はTVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズで音楽に携わってきた、Codaとしてのお話もお伺いしたいのですが。こちらの活動はもう5年くらい前からということなので、ノーリグとも並行しながら始まったものだったんですか。
 
「ちょうどノーリグが10周年が終わってクアトロでのワンマンをやって、半年から1年くらい、各々の時間にあてようみたいな期間があったんですけど。その最中に、知り合いから『やってみない?』って話をいただいて。その時、1年間の充電の中で音楽的に面白いものは絶対に全部やるって決めてて。なのでこれまでとは違う歌を歌ってみるのも面白いなと思って、『やります』って返事をして、仮歌を歌いに行ったら、すぐに話が進んでいって。Codaっていう違う名義がいいなと思ったのはノーリグはノーリグとしてちゃんとやりたいし、何より『ジョジョ』という作品の強さがあるから、楽曲を描いた大森俊之さんというアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』などの音楽監督をされてたりする方と話してて、違う名義でだったら、全部隠しちゃおうみたいなアイデアが出て。そういうところからCodaというひとつのプロジェクトみたいな感覚で始めたものだったんだけど、作品はいきなりヒットしちゃって、第2部のOP曲〈BLOODY STREAM〉がいきなりオリコン4位とかで。おふくろが『ミュージック・ステーションであんたの歌が聴こえてきて正体不明の謎のシンガーって言われとるけど、どうなっとるん?』みたいな電話かけてきたり(笑)」
 
――まあ親御さんとしてはね(笑)。最初は、まず1曲をCodaとして歌ってくださいというオファーだったんですよね。
 
「そうですね。自分では絶対に書かない歌を歌う場所という認識を最初はしてて、それがリリースされて。そしたら毎年さいたまスーパーアリーナで3daysやってる『Animelo Summer Live』っていうイベントに完全シークレットで出ることになって。だからCodaの初ライヴはいきなりさいたまスーパーアリーナで3万人の前でドーン!と(笑)。シークレットということもあって、出たらすさまじいどよめきが起こったりして。Codaって面白いなと思って」
 
――そして今年の4月からスタートしたTVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』ではOP曲「Crazy Noisy Bizarre Town」の作曲を担当されました。
 
「そう、これはTHE DUという3人が歌ってる第4部のOP曲なんだけど。4部はそれまでとは変わって、舞台も日本のとある街で、高校生の日常的な世界から始まるお話なので、そういう感じにガラッと変えていきたいというオファーを受けてそういう曲を書きました」
 
――「Crazy Noisy Bizarre Town」がリリースされた今年の4月の終わり頃に、Coda=小田和奏というのが公表されて。それは意識としては、Codaは別名義ではあるものの、やっぱり小田和奏としてのひとつの活動として提示していきたいってことだったんですよね。
 
「うん、ちょっと話は飛ぶんだけどさ、音楽ってやっぱり、人が作ってるんだなと思って。それをすごく実感したのは『ジョジョ』チームと始まったものの全てで。あの作品を愛している人たちの熱というか、声優さんだったり、関わってるメーカーさんもスタッフも、みんな『ジョジョ』のことをすごく愛してるんだよね。曲も書かせてもらって歌わせてもらって、さいたまスーパーアリーナだけじゃなくて、去年は秋に国際フォーラムで声優さんたちが集まるイベントに出たり、その前の年は横浜パシフィコだったりとか、実感としてすごい熱波が来る瞬間を体験してるし。現場はみんなバタバタしてるんだけど、『こうしたらお客さんたち喜ぶんじゃないか?』ってことをすごく考えてて。もう、自分が今までやってきたことが恥ずかしくなるくらい、みんなすっごい、今日どれだけワクワクさせることが出来るんだろう?っていうのを考えてるっていう、それを感じてしまったからっていうのは大きかったです」
 
――アニメの世界で音楽に携わることで今までにない経験が出来たと。
 
「だから自分も音楽に携わってる人間として真っ向から向きあおうと。第4部のOPの作曲をお願いしますって決まった時に、すごい思った。ちゃんと時期を見定めて自分の活動とCodaをリンクさせようと。No Regret Lifeだったり小田和奏としての、今まで自分の手で作ってきた作品を愛してくれている人たちにも、今こういう作品にも関わってやってるんですっていうアナウンスを、ちゃんとしたかったし。今度は『ジョジョ』という作品をきっかけで僕がCodaとして歌ってることで何かを感じてくれた人に、こういうものも作ってるんだよっていうアピールだよね。〈あ、こういう曲もあるんだ!〉と思ってくれたら楽しいじゃん。僕はこういう音楽もやってるんですっていうことが双方向からクロスフェードしちゃうものになったらいいなと。これは無謀に近い野望かもしれないけど、俺がひとりで弾き語りでさいたまスーパーアリーナで歌ってもいいわけじゃん?逆にCodaの曲を今やってるような何十人のキャパシティで歌ってもいいし。お客さんも俺もワクワクする事をやっていけたらなって。だからこれまでは謎のシンガーだったことを公表したのはCodaの方もガチでやっていくよっていう宣言でもあります、欲張りですけど(笑)」
 
――音楽ニュースとして配信されたりして、すごい反響でしたね。
 
「うん、反響はすごかったです。でも嬉しい。全部と向き合う覚悟でいるし、根本は小田和奏というひとりの人間が発信してるものに変わりはないから、自分のスタンスは特に変わらないし」
 
――アニメ業界や声優さんたちとか、これまで関わってこなかった人たちから受ける刺激は大きいですか。
 
「それはすごいある。だって、びっくりするくらいみんなプロフェッショナルなんだもん。今までがダメだったとかそういう意味ではないんだけど、そこはめちゃくちゃ実感する」
 
――そういう経験が和奏くんのソロとしての活動にまた反映されていくし。
 
「そうだね。ずっとあるのは、ゆるいとぬるいの違い。ぬるいっていうのは単純に熱量が低いんだよね、なあなあなの。でもゆるいっていうのは〈遊びが効いてる〉ってこと」
 
――なるほどね(笑)。
 
「JO☆STARSの他の2人と一緒にいる時って、彼らは歳でいうと僕より上なんだけど、ちゃんと同じ立ち位置で扱ってくれるし、お互いの、俗に言うリスペクトってすごいあるし。でも楽屋にいる時はほんとにゆるいの、もう冗談しか言ってないような感じで。だけどギターとか弾きだすと自然に三声でハモっちゃうみたいな(笑)。そういう経験もなかったし、もう最高だなと思って。そうやって何か常に自分がミュージシャンである瞬間のチューニングみたいなものがあるし、さっき言ったみたいな『どうやったらワクワクさせることが出来るんだろう?』っていうのを真剣にプロとして考えてるから。違うフィールドでのそんなやり取りを見て自分の襟を正すじゃないけど、やるときゃやるぜ感みたいなものを凄い感じた。それは『響きあう』という作品を作る上でのきっかけとして、すごくあったんだと思います」
 
――すごくいい出会いだったんですね。
 
「うん、もう感謝してもしきれないです。あの作品で人生が変わったというか、自分が音楽に関わるという覚悟かな、そこが変わったのかもしれない。最初は世界が違いすぎる中に入って、俺も借りてきた猫みたいだったと思うけど(笑)、いや違う、って思った。俺はここで光らなきゃいけないんだって。お膳立てされたステージに立たされて、歌ってはい終わり、じゃダメだなと」
 
――そこに気付けたからこそ、こうして続いているんでしょうね。
 
「たぶん10年前だったら違ってただろうね、『俺がやりたいのはこんなんじゃねえ』とか思ってたかも(苦笑)。でもロックとか何だとかそんなんどうでも良くて、単純に音楽を作るっていうところで自分が真正面から向き合って、それで受け手が興奮したり感動したりするものを作るのがアーティストだしミュージシャンなんだって思うから」
 
 

募金や義援金じゃない形での、手助けって何だろう

隣町の人間に『元気してる?』って呼びかけるような

そんな感覚がいいなと思って


 
――では最後にlong slow distance project.に関してもお聞きしたいと思います。大分・熊本での地震が起こってから素早いアクションで和奏くんが立ち上げた支援プロジェクトです。
 
「東日本大震災の時にパッと動いてくれたロックバンドの先輩たちがいて。STEP UP RECORDSのRYOSUKE (FUCK YOU HEROES)さんていう大好きな先輩がいるんですけど。震災の何日か後に電話がかかってきて、弾き語りのコンピを作ると。アメリカからNo Use for a Nameのトニーが東北に向けて何曲か書いたから、これをお前の力でどうにかして欲しいって言われて。時間がかかって1ヶ月後とかになると全然意味合いが変わっちゃうから、今やるかやらないか、参加するかしないかを決めてくれって。一瞬考えますって電話を切ったけど、腹は決まってて。翌々日くらいに電話して、曲を書いたんですけど何日に録ります? っていう話をその時に既にして。自分が弾き語りをちゃんとやり始めたのはそういうきっかけもあって。東北はまだまだ爪あとも残っていながら、街にいる人たちは自分たちの手で復活していて、そしたら今度は九州で地震が起こって。最初はどうなるんだろうなと思ってたけど、モヤモヤと頭のなかでイメージしてたのを形にしたのが今回のプロジェクトなんだけど。作品というキーワードと一緒でイメージしたものはたぶん十中八九形になるというのは、ここ1年位で自分の中で信念としてあって。それを形にする為にはどうすればいんだろう? 足りないものがあるならばこれまでの10倍がんばろうか、1にならなくても0.1を100回繰り返せばいいのかなとか、何かそういう感じで作品も作ってたりするから、まずは手伝ってくれそうな人間に話して、そうしていくうちにどんどん頭の中でまとめていって。そんなに大金を動かせるような自分のキャパシティではないけど、募金や義援金じゃない形での、向こうへの手助けって何だろうとか、隣町の人間に『元気してる?』って呼びかけるような感覚がいいなと思って。これはもう作品を作ろう、その売上で、現地の壊れた音楽をちょっとずつ治そうと。そこでlong slow distance project.という、ゆっくり長く、という意味を込めてプロジェクト名にして。これをゆっくり長く続けて行こうと思って。復興ってやっぱり1年、2年の話じゃないと思うから。何がいいかなって考えた時に、わかりやすい、小学生でも歌えるような曲を書こうと思った」
 
――そこで出来たのが「あしたのおんがく」。
 
「おはようとおやすみの間に過ごしている僕ら、そんな曲が出来ました。この作品を買って、いいなと思ってもらえたら、その人にも純粋な喜びがあるし。ただ募金するんじゃなくてウィンウィンの関係性をこのプロジェクトでは大切にしたいなと思ってて。だからこそ参加してくれたミュージシャンやスタッフとして動いてくれた人間にも基本的には少額なんだけどギャランティをお支払いしていて。でも誰がどこで歌ってくれてもいいように、曲は著作権フリーにして、例えばアレンジして譜面を書いて、現地の人たちに合唱してもらったっていい。ちょっとずつ形は変わっていくかもしれないけど、その時々で一番いいと思う形で今後も作品を作っていこうと思ってる。俺は億単位のお金とか集められないけど、でも例えばスピーカー1個買うお金を渡すことが出来たら、それでもちょっとずつ前に進められるじゃん。大きい動きはそれが出来る人に任せて、自分が出来る隣町の人に『元気? ちょっと手伝うよ』って言う感覚で、やれることをやっていきたいなと思っています」
 
――現地の人達に心を寄せながら、こちらとしてもゆっくり長く無理のないペースでやっていくことが大事ですね。
 
「それで何かが圧迫されたりしても意味がないからね。実際、『あしたのおんがく』の話をしたりするとみんな興味を示してくれるから、買ってくれるんですけど『響きあう』も売れないと俺は生活が出来ないから!」
 
――あはははは、そうだ。
 
「そんなことを冗談半分でライヴでも話したりするけど。だから『響きあう』、いい作品だから、そっちも買ってねってことは言っておきたいです」
 
――じゃあ私からも言っておきます(笑)。ちなみに3部作に関して、これを元に全国流通盤を1枚出しますみたいな展開はないんですか。
 
「3部作に関してはCD-Rなのでいくらでも増産できるけど印刷したジャケットがなくなったら廃盤にしようかなと思ってるから、買える内に買っていただいて(笑)。この先は、フル・アルバムを作ろうと思ってます。バンドが土台となる形でエレキも弾いて、でもやっぱり歌がど真ん中にあって、そこにどんな服を着せられるかっていうのが今のコンセプトなので」
 
――わかりました。では次のアルバムも楽しみにしてます。long slow distance project.としての今後の展開は?
 
「実際に熊本や大分に足を運んで、どんな状況かを自分の目で見て、周りの人に何が足りないのかを聞いて、何があったら何が出来ますか? という話をしてきます。無料の音楽イベントとかでもいいし、それで九州を何ヶ所もまわるような展開があってもいいし。そこに大きなメッセージを掲げるというよりは、日常に戻すっていうほうがテーマかもしれないですね。いつも通りに音楽がそこにある、ということに向かってやって行けたらいいなと思っています」
 
 
 
 
小田和奏 | Kazusou Oda Official Website
long slow distance project.とは
 
 
 

2016年9月10日(土) 渋谷7th FLOOR
「小田和奏バンドワンマン “響きあった夜を越える”」


 
●Member
 小田和奏 Vocal,Guitar,Piano
 高橋レオ Guitar,Chorus
 菅野信昭 Bass
 森 光郎 Drums,Chorus
 
 open/18:00 start/18:30
 adv.¥3,000(+1drink)/door.¥3,500(+1drink)
 
 《来場者特典》メンバーインタビューなどを収録したDVDをプレゼント
 
●Ticket
 ライブ会場物販:発売中
 HPチケット予約:受付中▶︎▶︎
 5/3 公演終演後特別先行予約(終了)
 ※入場順:1.特別先行予約→2.会場販売チケット→3.HPチケット予約
 
●お問合せ
 7th FLOOR(Tel:03-3462-4466)

 
 
 


 
FullSizeRender-300x225上野三樹●YUMECO RECORDS主宰 / 音楽ライター / 福岡県出身。