好きなものに正直に、新しい「かわいい」を生み出してきた女性たちが主人公の物語「交差点のヒロイン」。
「ゴーストライターならぬ、エンジェルライター」がコンセプト。憑依するというより、守護天使のように、その人に取材し、共感をもって、物語を書きます。

 
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今回のヒロインは、イラストレーターの田村セツコさん。
1938年に生まれ、1950年代後半より少女雑誌で挿絵やファッションページを手がけ、
『りぼん』『なかよし』『いちご新聞』などで、かわいいファッションやライフスタイルを提案する連載が一世を風靡。グッズなども当時の女の子たちの人気アイテムとなりました。
今も現役で精力的に活動を続け、その“かわいい”イラストと“おちゃめ”な生き方が、さまざまな世代の女性たちを魅了しています。
少女時代、駆け出しの時代、イラストレーターとして活躍を始めた時代、そして現在……4回にわたって、田村セツコさんの物語をお届けします。

 
 
 第1話 郵便屋さん、ありがとう
 第2話 苦労してこそヒロイン
 第3話 締め切りが恋人
▶︎最終話 ブルーとバラ色のワンダーランド
 
 
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うっそうとした、あやしげな森の中、リボンをつけた女の子がひとりで歩いている。
女の子の左手には紙、右手には鉛筆。
ときどき迷ったり、石につまずいて転んだりしながら、それすら楽しそうに笑顔を浮かべて。
すれ違う人たちに、彼女は陽気に声をかける。
「あら、アンじゃないの」
「まあ、ジュディ、元気?」
「ピッピ、今日も素敵な靴下ね」
みんな逆境に強く、ポジティブで、ユーモアのセンスがある、物語のヒロインたち。
紙と鉛筆だけをたずさえて歩いているうちに知り合った、大切な仲間だ。
「あなたたちに、本当に助けられてるわ」
森の中の細い道はやがてひらけて、女の子はビルの立ち並ぶ交差点に辿り着く。
『赤毛のアン』のアンも、『あしながおじさん』のジュディも、『長くつ下のピッピ』のピッピも、雑踏の中に溶け込んだ。

 
 

 
 

「みてみて!満月よ!」
セツコの黒いパンプスが、今夜はいつもよりかろやかに踊る。
原宿の交差点。ショッピングバッグをぶらさげた10代や20代が早足で行き交う。どの手にもスマートフォン。空を見上げているのは、セツコだけだ。
二十歳くらいの女の子と男の子が、セツコを上から下まで珍しそうに見ながら通り過ぎていく。

――私のことは、見なくていいんだけど……。

セツコは肩をすくめて、携帯電話をポケットから取り出し、夜空を撮った。
携帯カメラで撮った月はただのぼやけた光になってしまって、見たままの美しさは映らなかったけれど、まあいいわ、あとでブログに載せる用に。
セツコは携帯電話をしまって、もう一度大きく空をあおいだ。
まんまるの月が、原宿の街を照らしている。
雲の陰から出てきたかと思えば、ふとした隙に姿を隠してしまう月。
チェシャ猫みたい、とセツコは思う。
ここはワンダーランド。明日なにが起こるかわからない毎日。びっくりしてばかりの私はアリス。

 

原宿で暮らし始めて、もう40年になる。
ここは、わくわくすることもこわいこともたくさんの、ふしぎの森。
ときどき楽しくて、ときどき疲れる場所。
パステルカラーの花かんむりを頭にのせた女の子を見かけたときは、なんてかわいいのかしら、と思ったけれど、数日後に竹下通りを歩いたら、花かんむりの女の子であふれかえっていて少しぶきみだった。
だけどやっぱりこの街には、周りにおもねず好きなファッションを楽しんでいる人が多い。そういう人を見かけるたびに、セツコは心の中で――ときどき話しかけて――エールを贈る。

 

セツコのトレードマークは、手づくりの白いブラウスに、黒いスカート、エプロンというスタイル。黒いパンプスには、自分で黒猫の顔をペイントした。
金髪の髪をおさげにして、帽子には自分で縫いつけたつけ毛。
魔女のおばあさんに変身してみる日もあれば、ステッキをたずさえた紳士なおじいさんになりきってみる日もある。
今のセツコの中には、70歳のおばあさんも、20代の女の子も、10代の少女も、もっと幼い子どももいる。年を重ねれば重ねるほど、おしゃれは自由に、楽しくなる。
こうでなくてはいけないとか、これが流行だとか……そんなルールのない世界。それが、おばあさんのワンダーランド。

 

部屋のドアを開けると、雑誌の山、書類の山、ありとあらゆる紙の山がセツコを出迎える。
片付けられないのがコンプレックスだった時期もあった。でも、世界の偉人の中にはもっとガラクタだらけの部屋に済んでいる人もいるというのを雑誌で見て以来、セツコの心は解放された。
なんでもない紙切れも、いつかどこかでひらめきをくれるかもしれない、と思うと捨てられない。そして本当に、そんなガラクタや紙切れだったものが、セツコの画材になってゆく。
最近のセツコの作品は、いろいろなものでコラージュされた絵がたくさん。リボンの切れはしや、お菓子の包み紙、雑誌のきれいなページ。それはぜんぶ、セツコにとっては新しい色の絵の具だ。
個展やグループ展など、展覧会の予定は毎月のように入っていて、セツコはいつも製作に追われている。その合い間に、雑誌のインタビューや本の出版、フライヤーデザインにイラストカット……仕事は尽きることがない。

――NOが言えない日本人なのね。昔から変わらないわ。

家で仕事をするときも、パジャマのようなリラックスした格好よりも、きっちり服装をととのえるほうがいい。小さな、面倒な仕事のときほど、ルーズにならない心がけをする。

――なんて忙しいのかしら。

気がついたら70歳を超えていた。
広いお家も、宝石もいらない。車も別荘も。セツコのライフスタイルのテーマは、「屋根裏部屋の苦学生」。いくつになっても、そんな生き方がいちばん幸せだ。
戦争の影響がまだ色濃い、物のない日本で子ども時代を過ごしたからか、贅沢をしたいという気持ちになることがまずない。幼いセツコにとっては、干し柿の皮がキャラメルだった。雑穀でかさを増したごはんで育ったおかげで、痩せていても強いからだになった。ブラウスのボタンを何度も自分でつけかえては、着回して楽しんだ。そんな時代に、みじめだと思ったことは一度もない。想像力をふくらまる余地があればあるほど、毎日はドラマチック。
今もセツコは、目に見える豊かな生活には興味がない。お金で買えるものにも、そんなに魅力を感じない。

――昔は「廃物利用」とよく言ったものよ。

きらびやかなドレスに変身したお姫さまより、つぎはぎのスカートをはいて掃除をしているシンデレラのほうにときめく。
大理石づくりの大きな家に住むより、こぢんまりとした暮らしの中で、工夫を凝らすことにときめく。
そうするうちに、五感は研ぎ澄まされる。小さなしぐさが、クリエイティブになる。日常が旅のように、感動とヒントに彩られてゆく。

 

今夜の満月のために、セツコはカクテルをつくった。
家にあるお酒や果物を、実験みたいに混ぜてみるのが好きだ。
グラスを片手に持って、窓辺に腰掛ける。
今はもう、母も妹も、猫もいなくなった。本当のひとりぽっち。
淋しいと思ってしまえば、途方もなく淋しくなってしまう。
でも、窓辺に頬杖をついて外を見ていると、思うのだ。この広い世界の中で、こうやって窓辺にたたずんで、孤独を感じている人はどれだけいることだろう。セツコは目を閉じて、世界中のひとりぽっちの窓辺を思い描く。そんなたくさんの孤独なひとたちと、セツコはまぶたの裏でつながっているような気分になる。世界中の人と、友達になれた気がする。
生まれ変わったら、いい奥さんになって、楽しいお母さんになりたい。それもまた、楽しみだわ。
月の光が空の深い青ににじんで、レースのカーテンを透かす。
ブルーがあるから、ピンクが引き立つ。

――人生もそう。ロンリネスのブルーがあるから、ハッピーなバラ色がひきたつのね。

「かわいいは裏切らない」
ふとそんな言葉が浮かんだ。いい言葉だわ。でも、明日になってみると、そうは思わないかもしれないわね。
セツコはカクテルをひと口飲んで、その言葉の響きを味わってみる。

 
 

-END-

 
 
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ranprofile大石蘭●イラストレーター・文筆家:1990年生まれ。東京大学教養学部卒、東京大学大学院修了。在学中より雑誌『spoon.』などで執筆。伝記的エッセイ『上坂すみれ 思春期と装甲』や、自伝的短篇『そんなお洋服ばっかり着ていると、バカに見えるよ』などを手がけるほか、著書として自身の東大受験を描いたコミックエッセイ『妄想娘、東大をめざす』(幻冬舎)などを刊行。現在もイラスト、文章の執筆を中心に活動中。(photo=加藤アラタ)

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