家にいるよりお散歩したがる息子。 母の好きな街は息子も好きかな。

家にいるよりお散歩したがる息子。
母の好きな街は息子も好きかな。


 
 
ファンレターのお返事を出した。
 
「ファン」という言葉はむずかしい。
よくアイドルとか文化人で「私のファンの子……」というふうに「ファン」という言葉を自然に使える人がいるけど、私は抵抗があって、だいたい「読者の人」とか「フォロワーの人」とか呼ぶようにしている。なんだか、「ファン」イコール「私のことをかわいいって言ってくれる人」くらい、キラキラした語感があるからだ。
逆に、私自身が誰かの「ファン」という言い方をするときにも、結構気を遣う。
「ファン」っていうのは両手にポンポンとかホログラムのうちわとかを持ってその人を応援しているみたいなイメージがあるので、たとえば私にとって椎名林檎レベルに敬愛している人に対しては、そんなふうに応援しているというのはちょっとおこがましい感じがする。いつでもその人をリスペクトし、その人の気持ちや考え方を汲み取り、自分もその人に恥ずかしくないよう努める……というような態度は、「ファン」という言葉では表せない。
かといって、「ファン」という言葉にマイナスイメージをもっているわけでは決してない。
「ファン」って字面的にも音的にもふわっと爽やかでかわいいし、口にしてもされてもいやな気分にはならない。
よくもわるくもミーハーな印象のある言葉だけど、同性をミーハー的にもてはやして憧れるのって、女の子にしかわからない素敵な感情じゃないですか。
あえて「私はあの子のファンです」と使うのは、そんな感情に浸ってテンションを上げたいとき。
 
「ファンレター」という言葉は好きだ。
お手紙文化が絶滅の危機に瀕している今も、「ファンレター」という言葉、「ファンレ」というちょっとくすぐったい略称が生きていることはいとおしい。
読者モデルの子なんかが、ブログにもらったファンレターの山をアップしているのを見ると、自分がもらったわけでもないのに嬉しくなる。似顔絵が描いてあったり、切り抜きが貼ってあったり、おまけが入っていたり、分厚い便箋の束が入っていたりするお手紙って、プライスレスだなぁと思う。
だから自分が(ほんとうにたま〜〜に)ファンレターをもらうと、しみじみしてしまう。
 
私もファンレターを書くのが好きだった。
趣味みたいな言い方をするのも変だけど、憧れの人に気持ちを伝えられる、自分の気持ちが一瞬でもその人の世界に入る、ということに、すごくドキドキした。
もしかしたらお返事がくるかも……という淡い下心も正直あったし、ほんとうにお返事が届いたときは、サンタクロースが実在したかのように興奮した。
 
私が初めて送ったファンレターの相手は、家で取っていた「朝日小学生新聞」で『オリオン街』を連載していた山本ルンルン先生だと思う。
当時の私にとって、定期的にマンガに触れる機会はこのくらいしかなかった。(『りぼん』とかのマンガ雑誌や、コミックスなどは、病気したときか、おばあちゃんちに行ったときに特別に買ってもらえた)
だから私は山本ルンルン先生の、かわいくてポップでおしゃれで共感できるマンガを、毎日何度も覚えるくらい読んでいて、キャラクターのイラストをマネして描いて送ったり、連載再開したときには歓喜のメッセージを送ったり、していたのだった。
そして時折ルンルン先生からお返事が届いた。直筆のメッセージ入りの、マンガのキャラクターが印刷されたハガキ。
小学生の私は、異世界との交信のようにときめいて、早く大きくなりたいと思った。大きくなって、受け取ったメッセージを、私から届けられるようになりたい、と。
 
そんなわけで、私も、差出人の住所のあるお手紙には、遅くなっても忘れずにお返事を書こうと思っている。
ファンレターのお返事は、差出人の未来に届くから。
 
YUMECO1001大石蘭イラスト
 
 


 
ranprofile大石蘭●1990年生まれ。東京大学教養学部卒、東京大学大学院修了。雑誌やWebなどで、同世代女子の思想を表現するイラストやエッセイを執筆。著書に、自身の東大受験を描いたコミックエッセイ『妄想娘、東大をめざす』(幻冬舎)、共著に『女子校育ちはなおらない』(KADOKAWAメディアファクトリー)。(photo=加藤アラタ)
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