皆さまは、「大どろぼうホッツェンプロッツ」というドイツの童話を知っているでしょうか。公共の図書館には今もありますし、昔、自分が小学生の頃は学校の図書館でも借りて読んだものでしたが。つばひろの帽子に、髭を蓄えたいかにもな風貌、悪者ながらどこか憎めず、間が抜けているホッツェンプロッツ、おばあさん、子供たちを巡るワクワクするような話で、そこで、ソーセージとザワークラフト(キャベツの酢漬け、漬物)がよく出てきました。今でこそ、ソーセージもザワークラフトも当たり前に西欧型居酒屋に行けば、あるメニューですが、その二つが当たり前にドイツの方々の生活に根差していたのを知ったのは、実はその童話を知る前でした。

5歳の頃、長くではないですが、父の仕事の関係で私は家族でドイツに居ました。そのときに憶えている景色は数知れずあります。ノインシュバインシュタイン城へ行く際の馬車で高熱を出していたこと、街の中で定刻になりますと、窓が開き人形が何かを(ビールだったでしょうか)飲む仕草をする風景、夜の帳が降りた馴染みのファミリーの家での宴席、街灯が静かに道を照らし、窓から少しずつ明かりがはみ出してきて、香り出すシチューやポトフなどの夕食の匂い、朝食のスクランブル・エッグ、ソーセージ、公園の日本ではあまり見ないような構造の長い滑り台、誕生日で訪れた玩具店での昔ながらのフィルムが画像を写し、動くロボット、そして、アウトバーン。

アウトバーンといえば、テクノ・ミュージックの始祖とも言われます、クラフトワークの当該曲を今は想起される方はいるかもしれません。確かに、あの硬質でミニマルなビート、ただ、少しずつ視野が広がってゆくようなサウンド・レイヤー、それはあの車内の加速度の中で感じたドイツのイメージに近接しながらも、重たい空、美麗な風景との相比を考えます。クラフトワークの「アウトバーン」という曲は実に22分にもわたりますが、淡々と無機的な印象はイロニカルなテクノロジーへの複眼性も感じるものです。

1974年の作品ですから、その時点の彼らにおいてポップな要素をそれまでになく取り入れつつも、マシン・ビートは冷ややかに刻まれます。そのアウトバーンを(基本、無制限)高速度でしかも、軽自動車で駆け抜ける感覚、というのは、エアバッグも何もなかったものの、車窓越しに視界を飛んでゆく森、住宅、賑々しさよりも、「移動」そのものに集中してしまう/させられてしまう、不思議な時間が流れていたのを想い出します。

今でも自身が「速度」に敏感なのは、速度があまりに人智を超えてしまっていますと、自分の中での時間論が非制御出来なくなるからかもしれず、新幹線の速さ、飛行機の速さは体内時計とどう照応しているのか、気にもなるところです。

その後、20代になり、別件でドイツに訪れたとき、印象深かったのは流れで色んな国の方々と日本のカラオケ的なものに行くことになり、ニルヴァーナやビートルズの曲を歌いつつ、配信文化やドラマの影響もあったのかもしれません、レミオロメンの「粉雪」をなぜか皆が知っていまして、ただ、「日本の演歌」という見立てをされましたので、否定した、そんな記憶もあります。にしても、粉雪とドイツの街並はとても似合う気がします。

いつかの、そんな粉雪が舞う中で、大人になってから、バーみたいな場所で飲むドイツ・ビールはとても美味しく、そこでは民族差も肌の色も言語も関係なく、寒さと重くのしかかってくるような空を乗り切るための明るさが溢れていました。日本の方でもアルコールパッチなどですぐに分かるようになりましたし体質も変わってもきていますが、これまで出会ってきた中では段違いに西欧諸国の方々のビールの強さには唸らされました。その粉雪が舞うドイツで、皆で飲んでいたある夜、どんどんビールを開けてゆく周囲を傍目に、自身はぼんやりと酔い、カウンターに置いてありましたピノキオのパペットを観たり、ほのかに夜に染まったフランクフルトの街に視線を溶かしていました。そこには、家族で外食に行ってきたのか、父母と息子らしい三人が白い吐息を出しながら、息子の手には風船が握られていました。そして、ビールが進むうちに店の灯は消え、ホテルに帰る際のタクシーではもう静かに穏やかに街の灯が眠りに入っていた中で、ラジオから運転手が「ドイツの伝承歌なんだ。」と、いう聴いたことがあるような、既に忘れてしまうためのような、そんな曲が流れて、自分の中の時間感覚はまた、どこかへ置き去りになるのでした。

 

 

 

 

まつうら・さとる●1979年生まれ、大阪府出身。好きな音楽と語義矛盾を感じ、音楽やそこに関わる文化や人が好きなのだと最近は考えてもいます。COOKIE SCENEなどをベースに多岐に渡る執筆活動を行ないつつ、基本、研究員、にして左岸派。ノンカフェインのお茶が好きです。近況としましては、先ごろジャカルタに職務で行っていたのですが、現地の祭祀で踊ったことが感慨深く、つい勢いでお土産用にお面などを沢山、買ってしまいました。