私はよく逃げたいと思ってしまう性格である。それは嫌なことからすべて。いや、逃げたいと思う以前にちゃんとやってこれたことはあったのか、と疑問を抱かずにはいられない。学生のころはテストが嫌だったし、先生だって嫌いだったし、友達との人間関係がうまくいかなかったらすぐ逃げたいと思っていた。楽しいとかつらいとかいうその場所から。もっと言うなら人と関わることから私は逃げていた。それは怖かったから。自分が必要ないと思われてしまうのではないか、私がいなければあなたの人生はきっと安泰。そんな安易で卑屈な考えの持ち主な私はすぐ逃げたい逃げたいと思って自分を楽なほうへと導いていた。なるべく人と関わらないで生きていくことを選択していた。そんなことできるはずがないのに。

別に楽がしたいわけじゃない。ただ自分が生きていることに不安になるだけだ。一人で生きているような気持ちになって、それがたまらなく嫌だった。自分は生きていていいのだろうかとか思ってしまって、いつもどうしたらいいのかわからなくてその考えからも逃げて結局絶望的な気分になっていた。

だけどそんな私でも「生きなきゃ!」と強く感じた出来事があった。東日本大震災である。まったくの他人事、まったく知らない場所の出来事。だから自分には関係ないと思っていた。でもたくさんの人が自然災害という避けられない猛威の前にただただ無力で生きようとしても生きられなかった人がいた。逃げたくても逃げられなかった人がいた。そう毎日のニュースを見て思うたび、「私は亡くなった人の分も生きなければならない絶対に」と思っていた。

それだって都合のいい解釈かもしれない。でも他人の死を目の前にすると人は自分の生を感じざるをえない。しかし生きなきゃと思っても、私は自分の日常に戻っていく。どんどん忘れていく。事実を忘れなくとも私が知らないことは、経験していないことはわからない。ただそれだけだ。私の日常は生からの逃げでしかないとさえまた思ってしまう。負のループに陥る。

そんな負のループ生活を過ごしている時期にBUMP OF CHICKENのツアーが決まった。ファイナルは宮城、仙台。

私は彼らがいったいどんな気持ちでこの地をファイナルに選んだのだろうかと考えざるをえなかった。それはもちろん震災が関係してるのだろうけど、それだけでこの地に重くのしかかったものを彼らは拭い去ることはできるのだろうか。私はアリーナツアーが決まったころ(ライブハウスツアーの後の発表だったので参加したあと)一回行ければ十分だし、私には仙台でファイナルという理由だけで行く資格はないな、と思っていた。だけどアリーナツアーに参加した後からこのツアーのファイナルがいったいどんな形で締めくくられるのであろうと気になって仕方がなくなった。被災地、宮城でBUMP OF CHICKENは何を伝えるのか。見届けなければいけないような気持ちになって私は福岡から仙台に旅立った。

私にだって突然大切な人を失う気持ちはよくわかる。予期せぬ出来事は世の中にたくさんあるが、それによって命が失われるということが怖くて悲しいことだというのもよくわかる。だけどそれをこんなにもたくさんの人が経験して、一人一人に違う思いがあって、この震災によって命は奪われたということ。そのぶつけようのない怒りを私は理解することはできない。どれだけ憎くてもどれだけ恨んでも奪われたものは戻らない。いつも側にいた人が突然いなくなる、それは悲しいという感情ではない。ただただぽっかりするのだ。大切であればあるほどその思いは強くなると私は思う。

大切な人を失ったとき、私は側にBUMP OF CHICKENの音楽を置いていた。気が紛れるとか音楽の中に逃げるとかではなく、本当に救われた。自分が今までどれだけその人を大切にできていたか、後悔しない生き方ができていたか。私は彼らの音楽の中にその答えを見つけて無力な自分を責めずにすんだ。命を愛おしいと心から思うことができた。大切な人に対して「生きてくれてありがとう」と思えた。

代々木4daysからのファイナル。彼らが代々木で「みんなからもらった元気を仙台に置いてきます」と言ったことは知っていた。全国23万人の元気。それを彼らはどう伝えてくれるのか。どんな心境でこのファイナルを迎えるのか、会場について私はひたすらそればかり考えていた。そんな悲しみや怒りを抱えた人たちに何を届けるのか。わからないけれどきっと何かを変えてくれるに違いない、そう思っていた。

 

18時05分。だんだんと今回のツアーのSEであるラヴェルのボレロのボリュームが上がっていく。会場に詰め込まれた7000人の待っていた!という期待と歓声が空気を変える。一気に温度が上がった気がした。 カーン、カーンという音とともに映し出されるのはALWAYS三丁目の夕日シリーズの山崎貴監督とフランスのマンガ家・メビウスことジャン・ジロー氏にの映像だ。地面から飛び出す輝く星。それを追いかけ、飛行船が飛び立つ。なんて綺麗な世界なんだろうと思った。これから始まる奇跡の時間を飾るには十分すぎる。飛行船に乗っている青年のもとにクジラのような生き物が近づいてきて息を吐く。すると青い光を纏ったそれは形を変え最後に金色の鳥になる。投げられたそれは映し出された会場を滑空して消える。さあ始まりだ。

スクリーンのかかったステージから独特なリズムのドラムが鳴り響く。藤原がギターを掲げる。わー!という歓声があがる。鳴らされたのは今回のツアーではもはやおなじみの一曲目「三ツ星カルテット」だ。 スクリーンがかかったままのステージで4人のシルエットが巧みに映し出される。「僕らはずっと呼び合って音符という記号になった、出会ったこと忘れたら何回だって出会えばいい」そう藤原は高らかに歌う。この曲の説明の時、彼は自分以外の3人が自分にとって星なんだと、だから三ツ星なんだと恥ずかしげもなく語っていた。いつまでだって側にいることを誓い合った4人の絆の音楽が鳴らされる。

そこから水面のようなライティングの中、静かにシンセサイザーが響く。「宇宙飛行士への手紙」が始まる。「全てはかけがえのないもの、言葉でしか知らなかったこと」――その当たり前じゃない4人のかけがえのない時間が音楽となり私たちに届けられる。 ヘビィで陽気なギターで始まったのは「HAPPY」。終わりを歌うと同時に始まりも歌っている曲だ。「どうせいつか終わる旅を僕と一緒に歌おう」――確かにそうだ。いつか終わるんだったら恐れなくたっていいんじゃないの?そう強く思わせてくれる。 荘厳なメロディの中始まったのは、「ゼロ」。「終わりまであなたといたい、それ以外確かな思いがない」――どうして終わりまでなのか、ずっと一緒にはいられないのか。いや、ずっとはいられない。誰もがわかっている事実だ。それをうまく言葉にする、藤原の死生観がより濃く表れた曲だと思う。 いつも私はこの曲で泣いてしまう。強くも儚いこの曲に私は勝てないと思ってしまうのだ。生きていることを無条件に肯定してくれる、そんな気がしてならない。

ここで初めてのMC。チャマが「みんな4年間なにしてたー?」と聞く。就職、結婚、進学etc…さまざまな答えが会場を飛び交う。「BUMP OF CHICKENはね、レコーディングしてました!うちの藤原君が曲を作ってそれを3人で聞いて。曲が必要としてる形にしていきます。だけどそれで完成じゃなくて、ここにいる一人一人に聞いてもらわないと意味がないので。あと今日ここにいるメンバーは今日ここだけでしかそろわないメンバーだから。俺らはいつもどのライブも最初で最後って思ってやってます。このメンバーで最高のライブにしましょう。あと今日ファイナルだかんな!わかってるか!」と、会場とコミュニケーションを取りながらボルテージを上げていく。

そんなチャマの「カモン秀ちゃん!」という掛け声とともに始まったのは「Stage of the ground」だ。升の地鳴りのような力強いドラムが鳴る。「君が立つ地面はほら、365日いつだってStage of the ground」――弱い自分でもいい。ライトで照らしてあげてくれ、君が立っている場所もステージなんだ。なんでもない日常を音楽というスポットライトで照らしてくれる。「ギルド」「友達の唄」と続き、終わると藤原が深くお辞儀をする。次に鳴らされたのは「Smile」だ。 東日本大震災の復興を願ってリリースされた楽曲。ひりひりとしたノイズみたいなギターのあと静かに増川のアルペジオが響く。「大事な人が大事だったこと、言いたかったこと言えなかったこと」なんてとてつもないのだろうと思う。強く優しく祈るように歌う藤原の姿に胸がぎゅっとなる。間奏でギターをこれでもかというくらい激しくかき鳴らす藤原を見ていると怒りなのか悲しみなのか、その両方なのか。まるで命を命をかけて震わしているようだと思った。

「グッドラック」「R.I.P.」が終わると会場が明るくなる。そう。”恥ずかし島”への移動だ(「恥ずかし島」とはサブステージのことで4人がお客さんと近くて恥ずかしいという理由から名づけられた)。メンバーはステージから降り、客席の間をファンとスキンシップしながら進む。4人がサブステージに立つと会場の熱気が増した。恒例の質問タイムをはさみ、鳴らされたのはアコースティックver.の「fire sign」。まるで温かい陽だまりの中にいるようなメロディ、楽しそうに演奏する4人。「微かでも見えなくても命の火が揺れてる」――これは命を讃える歌だ。確かに皆の命の火が揺れていることを証明してくれた。そしてまた質問タイムをはさみ(昨日食べたご飯のこととか)みんなの「チャマはー?」という問いかけにチャマは「僕が持っているこれ、棒切れじゃないんです。ウッドベースのエレキ版なんです。じゃあ実際に弾いてみましょうかね」という一方的な流れの中、チャマのベースソロが披露される。これが痺れるくらいかっこいい。「ほら!棒切れじゃなかったね!じゃあ藤原君そろそろギターを持ってもらえますか?」というちょっと笑える指摘の後、藤原の柔らかいアルペジオが響く。ああ、「embrace」だ。アルバム『ユグドラシル』の中でも少し特別というか、質の違う曲だと思う。人は死んだものと出会うことはできない。確かなものは温もりだけ、それは生を確かめる言葉だ。藤原は歌詞を変え「生きてる人に出会えただけ」と歌った。この会場にいるすべての人へのラブソングになった。

そのあとバックスクリーンに鼓動のような映像が「星の鳥」とともに映し出される。やがて真っ赤なデジタルの数字に変わり「メーデー」が始まる。 そして「angel fall」のあと私がこの日怖いほど待っていた曲が始まる。「supernova」だ。 「述べられた手を拒んだその時に、大きな地震が起こるかもしれない」――ここだけにフォーカスを当ててこの曲のすべてを受け止めようとすると怖くなる。本当に大きな地震は起きてしまった。それをこの地で歌うことにどれだけの覚悟がいるだろう。怖くないのだろうか。いや、彼らはきっと恐れていないわけではないだろう。ただ音楽を届けることに迷いがないのだ。「ほんとの存在はいなくなっても連れていく」と胸を叩く藤原。「ほんとに欲しいのは君と作る今日なんだ、今なんだ」と今、ここに生きていることを喜び尊ぶ。それだけがこんなにも温かく素晴らしいことを知る。ラララのコーラスでは会場が一つになる。7000の手のひらが波のように揺れる。途中で藤原は「もっと声でるだろ仙台!」と叫んでいた。それはきっと「負けるな、お前たちはこんなにも強いんだから」という意味だったと思う。そう思わずにはいられない。

ぽろぽろとギターをつま弾きながら藤原が「素敵な歌声をありがとう」「あともう少しで終わっちゃうんです」という。本当に名残り惜しそうに。その時、弾かれているギターの音色があまりにも切ないものだからこっちの気持ちも伝えたくなる。本当に終わることが寂しいと。

そのままギターを弾きながら綺麗で複雑なアルペジオへと繋がる。「beautiful glider」「カルマ」そして本編最後の「天体観測」。4人がステージを去ったあとすぐにラララのコーラスが始まる。アンコールを求める大合唱。 するとTシャツを着替えた4人が登場。「アンコールありがとう!」とチャマ。「今日はほんとにありがとう。ここに来てくれた一人一人にほんとにありがとう。井上雄彦先生、山崎監督、MOR、スタッフ、メンバーありがとう。そして僕らを繋げてくれる音楽にありがとう」と言った。

アンコール一曲目はチャマの「じゃあこういう言い方をしてみましょうか、僕らのデビューシングルです」と言ってからの「ダイヤモンド」。そして「ガラスのブルース」。ガラスのブルースで藤原は「ちゃんと生きてるよ」と言ってくれた。強く、ただ強く。それは真実であり今のすべてだ。終わると4人がドラムセットの前に集合。「真っ赤な空を見ただろうか」が始まる。そしてこれで終わりかと思いきや藤原、ギターを置かない。勝手に始める。会場が一気に沸く。「仙台また来るね」と言って始まった最後の曲は彼が最初に作った曲「DANNY」だ。会場のあちこちから「ありがとう!」が飛ぶ。本当に終わってしまうのだ。拍手が鳴りやまない。ありがとうもやまない。なんて幸せな空間なんだろうと心の底から思った。

最後に藤原は言葉を詰まらせながらこう言った。「ずっと会いたかったです。こんなこと言うと嘘っぽいと思われるかもしれないけど、みんな本当にいい顔をしてるんです。だから明日も明後日もずっとずっとその顔で過ごしてほしいと本気で思います。ありがとう」

終わった。約8か月に渡った長くて短いツアーが仙台で幕を閉じた。

私はファイナルに行けて本当によかったと思う。いったい被災地でどんな風に音楽を鳴らすのか見届けなければならないと思っていたのだが、一つ一つの言葉や仕草、演奏から伝わってくる4人は変わらず、だけど特別な思いと覚悟を持って臨んだことがひしひしと感じられた。BUMP OF CHICKENはいつもとなんら変わりなかった。ただ真摯に強く温かくいつものように音楽を届け、私たちとひとつになってくれた。重たい空気も悲しみも一切なかった。みんなが音楽をただ幸せに感じている、喜び、楽しさ。そのピースフルな空気は常に会場を包んでいた。 BUMP OF CHICKENは今を歌うバンドだ。過去も未来も内包して、それがあるからこその今を。たまらなく愛おしくて切ない君と僕が生きている今を。

ただ楽しくて幸せだった。満たされた幸福感と胸いっぱいの感謝しかない。私の不安を一気に払拭してくれた。「生きるってなんだ」とか「誰一人救えない」とかそんなこと考えなくたっていい。ここに今生きていること、それは当たり前じゃない。君はちゃんと生きている、それは奇跡なのだから。私は一人なんかじゃない。そう強く感じた。それまでの逃げたいと思っていた弱い私はもういなかった。人と関わること、それは全然怖いことじゃないとこんなにたくさんの人がいる空間で一人一人と向き合って証明してくれた。このもらった勇気を持って私は堂々と生きていたい。生きようと思った。もっともっと人と関わって繋がっていろんなものを確かめていきたい。

彼らは魂を震わせながら全力で音楽を届けてくれた。この場所で鳴らされるべき楽曲だけだったし、生しか存在していない空間で切なさも寂しさも愛おしさも強さも全部巻き込んでエネルギーに変えて放って包んでくれた。命そのものを鳴らして叫んでくれていた。あのステージから感じられたのは圧倒的な強さと優しさだ。きっと誰もが忘れることなんてできないことを、なかったものとしないで受け入れて私たちは生きていかなければならない。いったいここに何を残してくるのか?その私の疑問はライブが終わったあとこの心に残ったものと同じだろうと思った。消えない勇気。これからを進んでいく、そのための勇気をくれたのだ。

私は生きている。確かな今を。大勢の人と、そしてBUMP OF CHICKENと。
それは貴くてかけがえのないことなのだ。

 

 

eeona(いおな)●1989年11月13日生まれ。福岡出身。好きなアーティストはBUMP OF CHICKEN,SHAKALABBITS,銀杏BOYZ,ART-SCHOOL,Chara,Base Ball Bearなど。高校生の時、友達に連れて行かれたSHAKALABBITSのライブで音楽にはまる。それから音楽雑誌を読み漁り様々な音楽と出会う。音楽雑誌を読んでいるうちに「人に音楽を伝えること」の素晴らしさを感じ自分もそうなりたいと思うようになる。今はそのための道を模索&努力中。楽天的と言われがちな性格だが結局いつもなんとかなると思っている。趣味は口ギター。