07
 
中3の春、付き合ってた彼に「一回別れて一ヶ月後に付き合おう」と言われたことがある。ん?
 
えっあっそうか…そういうのもあるのか…と一種の洗脳商法にかかったことがある。
 
「別れたかっただけだろう…!」と今なら笑える。
 
ただ、ほんとうに一ヶ月後によりを戻した。彼の何があったのかその30日弱(笑)!!
 
彼は、古びたラジカセを再生させてめっちゃ良い曲やねん! と、いつも「歌うたいのバラッド」を永遠ループしてて馬鹿みたい。と思ったと同時にめちゃくちゃ良い曲…! 発見だった。
 
わたしの中では、甘酸っぱい青春の曲。
今でも、あの頃のざわざわしていた気持ちを思い出す。
音楽と匂いはタイムスリップ出来る媚薬。
その後、彼の事は大嫌いになったけど、大好きな曲になった。
 
私の曲に「青春ボーイ」というタイトルがあるが、その曲とは全然関係無い。
 
青春っていつのことを言うんだろうか。
 
ぽわんのモエさんは「学生時代に青春してなかったから、わたしにとっての青春は、今!」と言っていた。すごく共感した。
 
神聖かまってちゃんでもあり、バンドじゃないもん! のみさこさんは、アルタ前でのゲリラライブで不器用だけど真っ直ぐな声で「わたしはまあまあの年ですが何度だって人生やりなおせる」と叫んでて、涙が出た。
これもきっと、青春だ…!
青春って場合によってはずっと続くものでもあるのか、な。
 
わかりやすいわたしの青春は、中学生の3年間かもしれない。
 
ソフトボールに明け暮れて、空いてる時間はカラオケ! 初めて買った(買ってもらった)CDは安室ちゃんと朋ちゃん、数千回は聴いた!!! 特に、朋ちゃんに関しては「I’m proud」をモノマネしながら歌ったりとにかく部 活の朝練休みたいな~とかクソみたいな悩み以外なーんも考えないで毎日を過ごしていたのはこの頃くらいかなぁ。
 
高校に入ってからは、なんとなく「進学」「就職」という文字はわたしの中でなくて
 
歌をうたいたい、お店を出したい、会社を設立したい…とふわっとだけどその三つが自分的にしっくり来て現実的だった。
 
何度か、社会の決められたレールとルールに忠実に生きてみようかなぁと試したことがあったけど、10年後、20年後のまあまあ無難な未来が見えて一気にやる気を失った(笑)。
 
昔から0か100かしかなくて、来月の収入が今の時点で決まってる時点でうんざりしてしまう。
恋愛も何もかも、安定がわたしにとっては超不安定材料。
 
育ちってやっぱり影響するんだなぁと思った。
 
周りに居る子達は進学に、就職に…と当たり前のように励んでる中
 
なんとなくこれは大学とかに行かないとな流れなのか?という空気をビンビンに感じて、当時JJを愛読していたわたしはモデルさんが多い神戸女学院を受験したいと嫌いだった担任に伝えると、もう今からじゃ遅いと言われた。そして、お金もモリモリかかる金持ち学校なので、遅いも早いもなく母子家庭のわたしには無理だった。
 
すぐ諦めて、お店を…会社を…とか言ってたわたしの言葉は友達や周りからするとそれこそ現実味がなくて、伝わらなくて、あんまり真剣に話せる子が居なかったかも。
 
友達はいたしギャルだったしお祭り好きだし楽しかったけど、 遊ぶ事より、仕事(バイト)してる方が生き生きしてたし経営者の方やうんと年の離れた方の話を聞くのが楽しかった!
だから、おじさん好きなのかなぁ…(笑)。
 
一度、ハタチくらいの時に本当に会社を設立…と(ホットペッパー的な)お店を紹介したりするフリーペーパー(無料案内所的な。笑)を作って会社にしようとちょろっと動いたことがあったけど、集まる場所が欲しいと思った。
 
わたしは名前がコロコロ変わる環境で育って、とは言っても祖父祖母に甘やかされたので思春期に貧乏は味わってないが、その後祖父祖母の仕事が大変になり高校卒業後は、祖父祖母と母に毎月仕送りをする…! という日々を送ることになるんだけど、
なので、とにかく働くという選択しかなかった。
 
小学校3年生頃から「永遠はないし約束って意味あるの?」と、自然と信用しなくなって、人に期待もしなくなった。自分で見て触れて感じたものじゃないと、信用しなかった。全てに絶望している訳ではない。ほんとは信じたい、信じれる信じるって一体なんだろう? といつも考えてた。
 
なので、唯一変わらないものがずっと欲しかった。一つでいい。と思って始めたのが、主催イベント「WONDER WORLD」。確かにあるその場所で感じる気持ちは嘘つかない。
 
一周年経って、そこからふつふつと点と点が繋がったみたいに
お店を出そう! 大阪で! と、ぽんと浮かんだ。
 
ライブも見れてご飯を食べれる、東京にはたくさんあるけど、大阪にはきっとまだほとんどない。
 
自分の表現は人それぞれで、きっと前の連載でも話したけど、イベントの最終形は 「誰がやってるんだろう…このイベント」が理想で、栗原ゆうを売る為のイベント! じゃなくて、イベント全体がわたしの作品になれば、それが一番の成功で。
 
大阪には、関西の子は好奇心旺盛で面白い子が多い!
ただ、大阪には面白いカルチャーを発信する場所が少ない。上京してきてから強く思った。
なので、そういう子の場所を創りたいと思った。
 
あるものを、ないところに届けたい。
「WONDER WORLD」を大阪で始めたきっかけも、それだ。
 
自分の中でとてもしっくり来た。
 
わたしの青春はまさに今かもしれないなぁ。
青春のカタチって、色々ある。
汗かいて馬鹿みたいに遊んでた頃…もそうだけど、希望と信じる気持ちを持ち続けてわちゃわちしている時間も青春かもしれない。
 
青春は一度きりじゃない。
 
無期限に訪れる。
 
こんな場所があったら、思春期に青春を楽しめてたかもしれない。そんな場所を作りたい。0になるかもしれないし、マイナスになるかもしれない。勿論100にも。これこそ良いものにしたい! と信じる気持ちがないと始まらない。
 
大阪でお店をするのが今年の1つの目標です!!
 
 
 
 


 
image1 (2)栗原ゆう/クリハラユウ●たまに踊るシンガーソングライター/作詞作曲、イベント企画「WONDER WORLD」楽曲提供(栗山夢衣、PPP!PiXiON、mikitmarket)アイドル誌ライター、衣装、全てセルフプロデュース。テレビ東京「音楽ば~か」レギュラー出演を経て上京後は多岐に渡り色んな肩書きを持ち精力的な活動を行っている。世界のファッション通注目スポット、サウスポーbyNPC(高円寺キタコレビル)で STAFFも勤める。
公式HP▪️http://kuriharayou.info/