YUMECO0801大石蘭写真
 
最近、「チェキ」を手に入れた。ラズベリー色のかわいいやつ。フィルムは、シンプルな白いのと、キキララの柄が出てくるのと。
フィルムが安くないので、デジタルの写真のようにばんばん撮りまくることはできないけど、ちょっとずつ大事に撮っている。
PCから出力するのではない、手に取ってさわれる写真が、なんだか恋しくなったのだ。便利なiPhoneがあって、画像をきれいにしてくれるアプリがたくさんあって、Twitterやブログで日々の写真を世界中の人に発信できる環境にいるけれど、紙だけで完結する世界は、それはそれで楽しい。
 
妊娠中から、毎日の体調や、行った場所、食べたもの、悩みや嬉しかったことなどを、ノートに書いていた。人に見せる用ではないプライベートなことだから、PCやiPhoneに打ち込むよりも、ノートにペンで書くほうが相性がいい。デジタルネイティブ世代とはいえ、まだ私にはそう感じられるみたいだ。
産後も記録は続けていて、言葉だけじゃなく写真もあるといいなぁと思い、気軽にかわいく撮れるチェキが欲しくなったのだった。
 
そんな私の熱意のルーツは、中学時代からつくっているプリクラ帳までさかのぼる。
90年代半ばに、顔だけしか入らなくてラクガキもできない1カットだけの、サンリオショップとかにあったあの300円のプリント倶楽部がヒットしたときは、コギャルのお姉さんたちが、システム手帳にこれでもかとびっしりプリクラを貼っているのをよく見かけていた。
それからプリクラが進化して、400円になって、全身が写ってラクガキもできる機械がメジャーになってくると、当時小学生だった私たち世代の間でもプリクラが爆発的に流行して、友達と遊びに行くたびに、4回も5回も撮っている子たちもいた。今思えば、小学生にしてその豪遊、すごい。私は親から、撮るのは1回だけにしなさいと言われていた。
そういえば、私たちより数歳年上の、モーニング娘。のメンバーがちょうど大人気だった時代、プリクラはささやかなアイドル願望みたいなものを叶えてくれるマシンでもあったのかもしれない。
 
中学生になると、プリクラは名刺になった。
仲良くなりたい子には、「プリクラ交換しよ!」と言い、もらったプリクラや、自分で撮ったプリクラを、「プリクラ帳」に貼って見せ合っていた。
プリクラ帳を友達と見ながら、「○○ちゃんかわいいよね」「この子誰?」「ぶりっこやん」「私服派手だね」などとカワイイ論議が繰り広げられたりもした。何より、プリクラ帳はSNSのなかった時代に、自分の交友関係や好きなものをシェアできる格好のツールだったんだろう。
ノートにただびっしりプリクラを貼っているだけの子も入れば、コメントを書き込んだり、好きな芸能人の切り抜きを貼ったりしている子もいた。
私は、雑誌の切り抜きやシールでページをデコるのに凝っていた。「デコる」って言葉が市民権を得だしたのもこの頃かもしれない。何の影響でそういうプリ帳デコりを始めたのか覚えていないけれど、それはエスカレートしていった。雑誌の切り抜きをコラージュするだけでなく、イラストを描いたページがあったり、椎名林檎の歌詞を書いたページがあったり、それだけでなく椎名林檎がいかに良いか書き連ねたページがあったり。そこには今にも繋がる私の創作意欲のすべてがあった。
そして私たちは影響を受けあった。ORANGE RANGEの歌詞を書いている子もいたし、CECIL McBeeのタグを貼っている子もいた。
ネット上にもプリ帳デコりのコミュニティみたいなものができていて、自分たちのプリ帳の写真を公開しあったり、印刷して使えるデコり用素材(「初プリ」とか「BEST FRIEND」などのロゴ系や、ハートや星のラインなど)を配布している人がいたりした。一冊のノートという、アナログで、閉じられた小さな世界のために、デジタルの情報を駆使しようという、その情熱が、愛おしかった。
 
プリ帳への執念をそのまま受験勉強に移行させ、ノートをかわいくしたり教科書にシールを貼りまくったりしながら、無事大学に合格し(雑なハイライト!)、いつの間にかシールも買わなくなり、プリクラも、撮りはするけれどプリ帳をつくる余裕はなくなった。
スマートフォンが普及すると、プリクラは、撮ったあとに機械から送ってもらえる画像データに価値がおかれるようになって、シールとしての役割はほとんど無視されるようになっていた。
25歳を迎え、1児の母となった今、また「紙としての写真」に魅せられるようになるとは。
私の育児ノートは、写真や日記だけでなく、雑誌の切り抜きやシールで埋め尽くされている。
そのうち歌詞なんかも書きはじめるかもしれない。

 
さらに言えば、プリクラ帳は、ネタ帳だ。
中高時代のことについて何か執筆するとき、当時のプリクラ帳を見返すと、記憶がかなり鮮明によみがえってくる。よみがえるというより、当時の私も今の私も同じ私なのだということをあらためて実感する感じ。
今の育児ノートも、きっとそういう役目を果たす宿命。貴重な資料として、なつかしい気持ちでこのノートを見返す日がくるのが楽しみだ。
 
 
 
YUMECO0801大石蘭イラスト
 
 


 
ranprofile大石蘭●1990年生まれ。東京大学教養学部卒、東京大学大学院修了。雑誌やWebなどで、同世代女子の思想を表現するイラストやエッセイを執筆。著書に、自身の東大受験を描いたコミックエッセイ『妄想娘、東大をめざす』(幻冬舎)、共著に『女子校育ちはなおらない』(KADOKAWAメディアファクトリー)。(photo=加藤アラタ)
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