Candy Stripperの原宿店でお買い物できる今の生活がうれしい(イラスト参照)。マタニティにも使える! 原宿のカフェSEE MORE GLASSにて。

Candy Stripperの原宿店でお買い物できる今の生活がうれしい(イラスト参照)。マタニティにも使える!
原宿のカフェSEE MORE GLASSにて。


 
病院って嫌いじゃない。
 
たぶん小さいときからしょっちゅう病気やケガをして、病院に連れていかれることが多かったからだと思う。
 
痛みや具合の悪さやよくわからない心身の状態、夢うつつの意識で訪れた病院の景色の断片が、日常と非日常の狭間の、ふわふわとしたちょっとファンタジックなモチーフとして、記憶に染み付いているのだ。
 
1歳くらいのときに田舎の病院の和室で初めて点滴を受けて大泣きして、終わったあとに小梅ちゃんの飴をもらったこととか、3歳くらいのときに行ったタイで椅子から落ちて口元を切って何針も縫って、いつのまにか包まれていたふかふかの布団のこととか、小学生のとき、寝込んでいるときにだけ特別に買ってもらえた『りぼん』や『なかよし』のこととか……
最初の記憶が早めな私には、病院という場所とノスタルジーが強く結びついている。
椎名林檎の「本能」のビジュアルとビデオに、エロさ以外で心の琴線に触れるものを感じる人は、こんなふうに病院という場所自体に、幼い思い出の居場所を持っている人なんじゃないだろうか。
 
いま妊娠9ヶ月半ばの私は、検診や母親学級で、病院に通ってばかりの日々。
そこは出産のために必死に探してやっと決めた大病院で、病院以外の用事ではあまり降りなかった駅が最寄りになる。
上京してから、病院に行くときは適当に行きやすいところに行っていて、かかりつけの病院などは特になかったので、通う病院が決まったとたん、一気に東京の人になったって感じだ。
 
病院って、通う用事がなくなれば行かなくなる。当たり前なんだけど。
考えてみれば、用事がなくなれば行かなくなる場所って、ちょっと切ない。
お店や公園なんかだったら、用事のためでなくても行きたくて行くものだし、学校などは卒業したら行かなくていいけど、たまに行事に顔を出したり先生に挨拶に行ったりしたくなるものだ。
でも病院に行きたくて行く人はそうそういないだろうし、節目ごとに病院に何か報告や挨拶に行くという人も少ないだろう。
 
親戚のお見舞いに、たった何回かだけ通った病棟の長い廊下。非常口の緑のライト。大きすぎる駐車場。持ち込んだハンバーガーの味。独特のラインナップの売店。誰もいない自販機の前。壁に飾られた折り紙と油絵。窓からみえる川と郊外のスーパー。
そこは、生も死も知っている。
 
病院に通っている時間というものは、とても退屈なのに、とても愛おしい。
それで、廊下の奥の忘れられたような食堂にふらりと入って、日替わり定食など食べてしまう。駅の近くにおしゃれでおいしいお店なんていくらでもあるのに。
 
こんな些細な出来事は、いつか忘れてしまうんだろうか。
それとも、私の子ども時代をなぞりながら、新しい家族の記憶のBGMになっていくんだろうか。
 
YUMECO0501大石蘭イラスト
 
 
 
 
 


 
ranprofile大石蘭●1990年生まれ。東京大学教養学部卒、東京大学大学院修了。雑誌やWebなどで、同世代女子の思想を表現するイラストやエッセイを執筆。著書に、自身の東大受験を描いたコミックエッセイ『妄想娘、東大をめざす』(幻冬舎)、共著に『女子校育ちはなおらない』(KADOKAWAメディアファクトリー)。(photo=加藤アラタ)
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