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なりゆきで小田和奏さんが主宰するランニング部にわたしが首を突っ込み始めたのは年始のこと。1月末に行われた某市のマラソンの10マイルの部を、ほぼ練習なしで臨んだわりにはけっこう楽しかったのでそのまま(たまーに)活動に参加させてもらっています。とある秋口の好日、ランニング部の練習で某公園をメンバーのみなさまとぐるぐる走っていたのですが、会話しながら和奏さんと並走していたところ、段々と内容がインタビューっぽくなってきたので、じゃあ、インタビューしたらどうだろうってことでインタビューしちゃいました。キッカケがそんな理由だっていいじゃない?

昨年の7月にNo Regret Lifeが解散してから、和奏さんは休みも挟まず走り続けてきました、音楽活動的な意味で。それも、今年の9月に1stミニアルバム『Gift』をリリースするまでの間にも、フルアルバム1枚と会場限定のシングルを2枚発表しているという全力疾走っぷりで。走ること、走り続けていること、走り続けているなかで変わってきたこと…そんなところに焦点をあてた、ロングめのインタビューです。『Gift』のリリースツアーは、残すところ東京と大阪のバンドセットでのワンマンライブのみ。ぜひ今の和奏さんにふれてください。

(取材・文=いとうさわこ アーティスト写真・ライブ写真=Sachie Hamaya )

 

 

▼小田和奏 バンドワンマンツアー2014「未完成のギフト」

2014/11/23(日)@心斎橋Music Club JANUS

2014/11/29(土)@渋谷duo MUSIC EXCHANGE

Act:小田和奏(バンドセット)

Member:高橋レオ(TOY) / 中内正之(セカイイチ/f4-high) / choro(Jeepta)

Bass. おかもとえみ(ボタン工場/ex.THEラブ人間) Piano. 秦千香子(ex.FREENOTE) Drums. 石川龍(ザ・チャレンジ/ex.LUNKHEAD)   http://kazusouoda.com/

 

 

“小田和奏”っていうソロ名義になって、会場限定版も合せると4作品発表してるんだけど、今は制作面での行き詰まりなんて全然なくて、新鮮な気持ちで続けてる。


 
——走りながらポロっと仰ってたんですけど、最近は自分のことについて考えることが多いそうですね。

「俺ってこういう人間なのかなあっていうのを、時々考えてる。たとえばさ、勝手にできていた“自分のなかで確信がないことは口に出さない”っていうルールに、縛られている瞬間があるなあ、って。要するに自分の発言に、自分が根拠を持っていたいっていうことなんだけど」

——そういうのって年を重ねたら減るのかしらと思っていたんですが、そうでもないみたいですね。

「うん(笑)。自分に余裕がないときに考えがちだと思うんだよね。そうだな…、いちばん最初にバンドマンが悩むのって、いい曲できねーなとか、ライブで予想してたリアクションがないなとか、何が正しいのか答えが出ないときに悩んだりするんだけど。曲を書くことも、作品を出し続けることでハードルが上がり続けていくのは間違いないことだから。“小田和奏”っていうソロ名義になって、会場限定版も合せると4作品発表してるんだけど、今はそういう制作面での行き詰まりっていうのは全然なくて、むしろ新鮮な気持ちで続けてる。俺がひとりでやるのは当然“小田和奏”で、バンド形態でやっても“小田和奏”だし、ユニットでやってもトリオでやっても“小田和奏”なんだ…っていう、可能性みたいなものが沢山あってね。だからこそ、それを整理整頓する作業は、バンドのときより必要かなと思ってる」

——ノーリグが解散したのって、去年の夏なんですよね…。この1年と3カ月がすごく早く感じたんですよ。解散から3カ月でフルアルバムの『旅人の奏でる体温』を作った時点でびっくりしましたけど、そのあとも絶えず動き続けている。急いだのか、行けるところまでいってみようと湧き出るものをとにかく突き詰めたのか。

「そうだよね(笑)。えっと…、どっちもあるかなあ。『旅人の奏でる体温』については、ノーリグが解散した7月から、 “俺の音楽は止まない”っていう意思表示として、年が変わる前には次のアクションを起こそうと決めていて。バンドのときから弾き語りでやっていた曲もあったから、それを仲間に手伝ってもらいながらリアレンジして。バンドが解散したときに、いろんな連中が手伝うよって言ってくれて、それをひとつ形にしたかったっていうのもあったな。でも、正直、フルアルバムにするつもりはなかった(笑)。某ライターさんにも“バカじゃないの?!なんでそんないきなりフルボリューム目指してるの!”って言われたりして(笑)」

——いや、ごもっともですよ(笑)。で、ソロになったときの自分の気持ちに素直にしたがったのが、『旅人の奏でる体温』だった。

「リリースしてから年内はずっと弾き語りでツアーを回って、ソロの“小田和奏”が転がり始めたんだけど、同時にバンドでやりたいなという思いもあったから、今年の2月に、初めてバンドセットのライブを仙台でやって。あの天候のなか(関東も記録的な大雪になったあの日です)で、それでも100人くらいのお客さんが観に来てくれたんだよね。東北だけじゃなく、東京とかそれ以外の土地からも来てくれたりして…。対バンが、地元・仙台のthe youthと、TOYと、オープニングアクトで1バンドっていう、けっこうレアな組み合わせだったこともあるけど、つながりとかルーツとかがわかる人にはわかるような、イベントのカラーがよく見える日で、苦労して会場に集ったこともあって、“是が非でも楽しんでやる!”っていうバイブレーションのいい日だったよ(笑)」

——そのあと、バンド編成のライブが何度か続いて。

「ライブを重ねながら、新しい曲を始めていくなかで、必然的にアルバムを出したい気持ちも出てきたし、現実的な時期も考え始めたりして、今作『Gift』につながっていって。前作は弾き語りタッチの曲にバンドが服を着せるという感じだったんだけど、『Gift』は最初から、こういう音を鳴らしてほしいな、とか、こういうフレーズをこいつは弾いてくれるだろうな、っていうのを想像しながら書いていって」

——メンバーそれぞれの音像だったり、バンドで鳴らすイメージありきで曲づくりをしていったんですね。

「“小田和奏”っていうバンドを作っていく感じだったのかな。自分の立ち位置はアコースティックギターを弾いて歌う、というところだけ決めていて。楽曲のカラーは、同じ人が歌っているけどノーリグとはまったく手ざわりが違うだろうし、俺はすごくポップな作品ができたなと思っていて。言葉の選び方も楽曲の持つ雰囲気も、そういう方向に呼ばれたなと」

——ソロになってからの曲たちって、変に構えずに聴けるなって思ったんですよ。前作もそうだけど、今回も、まずやさしさだったり、ぬくもりだったり、自分のなかに在るはずのあったかい部分だったり、そういう温度感を素直に受け止められる印象で。

「『旅人の奏でる体温』のときは、すごくパーソナルだって言われることが多かったんだよね。でも、“パーソナル”はちょっと違うような気がして、それよりもっと近い言葉は何だろうと考えたときに、“プライベート”っていうことなのかなって。といっても、曲に書かれている世界が全部俺のプライベートと直結しているわけではないんだけど、プライベートなタッチなんだろうなと、今回も」

——歌詞をじっくり読んでいくと、1対1の情景も浮かぶんだけど、それだけじゃない。「確かなもの」(『Gift』収録)は、歌詞を一読すると、愛する人に愛を伝えるような視点でありつつ、この曲の第一声を聴いた瞬間、和奏さんがこの曲を歌って届ける人、この歌や和奏さんの歌を聴くすべての人へのメッセージなんじゃないかなと感じたんです。

「乱暴な言い方になるけど…、この曲はノーリグをずっと観てきてくれた人に対して書いたイメージなんだよね…。いちばん詞は考えたかな。ラブソング…、…俺、これまでも色んなところでラブソングアレルギーっていうことは言って来てるんだけど(笑)、逆に今はラブソング的タッチなものが多いじゃない?でも、ラブというかヒューマンソングっていうイメージなんだよね、ヒューマニズム。悩まされて、でも人が好きで…」

——わかる気がします。

「ずっとライブハウスを中心に活動してきたけど、カフェやバーやアトリエだったり、趣向の異なる場所で最小限の形でライブをやってみて、ほんとに文字通り間近でやるときもあってさ。それが、“レアなものが観られてよかった”で終わらないものを残したいって、すごい模索してる。それは何かっていうと、この距離で、ギター1本と声だけで、“また観たいな”って、じんわりくるような感動がないといけないじゃない。弾き語りっていう言葉通り、直接お客さんに語りかけるような音楽をそこで鳴らさないと、この距離まで迫った人と目と目が合わせられないまま、もう次には会えないかもしれないでしょ」

——これだけ近づいた距離で伝えていくというのは、1対1の対話に近いですよね。

「この距離感はすごいよね。知らない人同士で見つめ合ったら、ぜったい緊張するじゃん(笑)。俺も、あまりに近すぎて目を開けずに歌っているときもあるけど(笑)。まったく前知識がなく俺を観ている人を、どうやって巻き込んでいくか。さりげなくやりたいんだけど、けっこう這いつくばってるし、勝ち負けじゃないけどやっぱり負けたくねえし。他の人のいいライブを観ると熱くなるけど俺が同じことをしても意味はないわけで。その日の空気とか流れを掴みやすくなっていくことなのかもしれないしね。場所も違うし、立ち位置も違うし、もっというとセットリストを考えていたとしてもお客さんからリクエストをもらったらじゃあそれやっちゃおうって、流れに委ねながらやっていくと、毎回特別なものになる。だから弾き語りはね、べつに一週間連続でやってもよくってさ」

 

 

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俺が陸上競技を辞めた理由って、故障でさ。足がどうにも治らなくなっちゃって。そのあと全然走らなかった時期が7〜8年間くらいあって、あるとき、走りながら歌詞とかメロディがふっと浮かぶことに気づいたんだよね。


 
——弾き語りの移動って、車でしたよね。すごい移動距離じゃないですか?どんなこと考えてます?

「運転は好きだよ。あんまりストレスは感じないかな。ライブ翌日とかでも、前日のこととかは考えない。移動中もあんまり音楽を聴かなくなっちゃったんだよね。ラジオとかを流し続けてるかんじ」

——和奏さんは、ひとりで黙々と、っていうのが好きな方なんですかね。もともと、ど体育会系じゃないですか。陸上をやってらしたそうですが、走ることっていつから自分のそばにあったんですか。

「小学校のかけっことか持久走とかは、どっちかといえば速いほうで、正月に母方の祖父母の家に集ったときに、毎年箱根駅伝を観てたら、だんだん興味を持ち始めて。中学校に上がってから陸上部に入って、競技としてやり始めたんだよ」

——ノーリグ時代は、気分転換したいから走る、ってことはしていました? 走るときに到達する場所って、なんかあるじゃないですか。私はあと泳ぐことにそれを求めてたりするんですけど。

「あるある、あるよね。俺が陸上競技を辞めた理由って、故障でさ。足がどうにも治らなくなっちゃって、競技者として続けられなくなったんだけど。陸上をやっていたときは音楽がいいリフレッシュになってたのが、立場がひっくり返った感じ。そのあと全然走らなかった時期が7〜8年間くらいあって、それがあるとき、走りながら歌詞とかメロディがふっと浮かぶことに気づいたんだよね」

——それはいつ頃ですか?

「30歳になる手前くらいかなあ。曲を書くことに行き詰まったときに、突発的に30分くらい走ってみたんだよね。ちょうど(当時所属していたレーベルから)独立しようとしている時期だったと思う」

——自分のなかで考えることが増えた?

「自分のなかの精神的なコレステロールを削ぎ落としたいときに走り始めて。今は、そうだな去年くらいからもう一度ちゃんと走ろうかなと思ったんだよね。このままオッサンになっていくのも腹立つなと思って(笑)」

——締まっていこう、と。

「若々しくいたいというか。体力があったり、食べ物もそうだと思うけど、肉体的な年齢ってある程度自分でセーブできるじゃない?いつまでも美味しいものを食べたいし、体力があるほうが圧倒的にいいし、頭の中も若くしていたい。10代の頃と今では、考えてることも絶対に違うでしょ。でもそれは年齢のせいじゃないかもしれなくて、もっとアクティブに動いて、泥まみれになっていたからこそ生まれた感情なのかもしれないし。そうやってストイックに身体を動かすことで生まれてきた感情は、30歳を越えてからも生まれてくるかもしれない、って。それがいちばん大きかったかも」

——若い時代は過ぎた、と思っていたけれど、過ぎてなくなってしまうのではなく。しかも今、当時と同じ追い込み方をしたところでまったく同じではないけれど、そういうことで生まれる感情に出会いたいというか。

「うん、なんかね、ガツガツしてえなって。やりてえことやりてえし、食べたいもん食べてえし(笑)。だけど身体は変化していくので。それで走りだして、そしたらなんか周りでも走る人が増えてきて…部活みたいになってきて(笑)。今年の7月頃がライブで地方に行くこともなくまとまった時間が取れたので、まったく休みなく1日12kmくらい走っていたら、月間で400kmくらい走ってたんだよね(笑)」

——走った記録を共有できる某アプリを見ながら、みんなが恐怖の渦に(笑)。

「秋以降はリリースだったりで時間がとれず、身体が走りたくて走りたくて変な感じ。どっかでもう一度仕切り直さなきゃなって思ってる。今、家には音楽雑誌よりも陸上雑誌の方が圧倒的に多いよ(笑)」

——記録を伸ばすために走り方を研究していたり…?

「というより、アジア大会とかインカレとか競技会の結果を観て感心したり、音楽を始めた頃にギターマガジンを読んでいたような感覚(笑)。陸上をやっていた頃に音楽がいいリフレッシュ材料になっていたのが、今では逆になったというか」

——ランニング部、どんどん人が増えていますよね。走りたい人が走りたいときに走るだけっていう単純な集まりだから気楽ですし。

「しかも非営利団体ですから。このまま人が増え続けたときに管理しきれるかもわからないけど(笑)。部活っぽさってね、すごく良いと思うんだよね。音楽もそうだけど、部活って仕事じゃないのに命がけでやっていたじゃない。あの、何かを懸けて、想いを馳せに馳せまくっている感じ。仕事となると、どこかしら“費用対効果”を求めちゃうでしょ」

——やっぱり仕事って、ある程度“対価”を予想して、それに対して頑張る度合いが決まりますよね。それ以上やっても損すると思ったら、対価の分だけで線を引く。

「でも、部活ってそうじゃなかったじゃない。俺もまあ波瀾万丈といえばそうなんだけど、やっぱり子どもの頃から恵まれた環境で育ててもらっていたんだよね。大学以降はもうハチャメチャで、まさに筋書きのないって感じだけど(笑)。オヤジもおふくろも正しい人生を歩んで来て、正しい家庭の構築をしてきて、俺は三兄弟の長男なんだけど、気づいたらそういうものが植え付けられていて…。それに対して、嫌だなっていうことではないんだけど…、正し過ぎたのかなあって思うときがあるよ。どうしても正義感や、筋的なものが、邪魔になる」

——「邪魔」と思うのは、それらが自分のなかにあたりまえにあるからこそ、なんですよね。

「音楽に関していうと、そこが人を魅了する理由にはならないんだよね。やっぱり何かが欠落している人に魅力を感じることもあるし、それはそういう曲がポンとできたからではなくて、やっぱり作った人の“人となり”が表れる。逆に、お前は本当にそう思っているの?って見えちゃうこともある。俺はなんかそういうときにちょっとした劣等感みたいなことを感じてしまうんだよね、正しすぎたから…」

——でも、そうじゃなかったら歌えない曲もあるじゃないですか。欠落した人に魅力を感じるっていうの、すごくわかるけど。

「うん、自分とは違うからこそなのかもしれないし、そうなりたいとは思っていない。実際に自分が意識をして音楽をやり始めたのは大学に入ってからで、そこからは安定とか安泰とか、そういうものとは真逆の方向に自分から向かっているのかもなあ。それが30を越えてから落ち着いてきたということもなく、今からのがサバイバルなのかもしれないし(笑)。まあ、不思議な所以だなと」

 

01

 

“テレパシー”みたいなものなんじゃないかなって思う。お酒飲んでてパッと手を触れたらこの人軽いな、って思ったり、思ってもみないことを歌っている人を見てしらじらしいなって思ったり、そういうのも含めて。


 
——20代からミュージシャンとして走り続けている中で変化したことって、どんなことがありますか?

「陶芸家のエピソードで、よく“違う!!!ガシャーン!!!”みたいなのあるじゃん(笑)。端からみたら素晴らしい作品なのに、本人は気に入らないっていう。あれはストイックに完璧を突き詰めているパフォーマンスだったりするけど(笑)、でも、本人が“違う”って思う、その作品すら見てみたい」

——見たいです見たいです。

「すげえ良い作品を出し続けているアーティストの新作が、“ん?”って感じるときがあったとして、そのあと何作か経てから改めてそれを聴き直すと、“この作品も必要だったのかな”って思ったりするよね。だから、俺の中でも“これは違う”、って思うような作品も、実験というわけではないけど…とにかく作ったものは見せたいなって思うようになったよ」

——それはけっこう大きい変化ですよね。

「今までは、こういう服を着せて、キレイになった、よし出しましょう。ってなってたけど、今は自分の足跡を全部見てもらいたい。それもあって、会場限定版のシングルのリアレンジをその後の作品に入れてみたりもしてる」

——今日の一番始めに仰っていた、「自分の中で確定したものしか口に出せない」というのと、一方で相反するような状態で面白いですね。

「うん、うまく言えないんだけど…、それはそれでもちろん完成しているんだけど、その先に進んでから振り返ると、こういうための布石だったんだって見えてもいい。確信というものはさ、やっぱり根拠プラス自信、それと責任感だと思うんだけど、現時点で確証はないけどこうなるんじゃないかなっていう未来予想図でもあると思うんだよね。ソロだと形態はいくらでも自由にできるからこそ、これから作っていく音楽の可能性を探っている状態。こういうのどう?ってみんなに提案しながら、手ざわりを確かめながらでも確実な“小田和奏”っていう音楽の形を探している」

 

——“手ざわり”って、和奏さんの音楽のキーワードですよね。曲から受け取る温度や、和奏さんの声が空気をふるわせている瞬間だったり、ライブ会場に居て一番肌に感じる。それに近い形でCDも作られている印象です。

「手ざわりって大事なんだよね。全員かわからないけど、女子って頭をぽんぽんってされると嬉しいっていう話あるじゃない(笑)。それって、触られているということによる安心感でしょ?」

——ハグでストレスの30%が解消されるっていうじゃないですか…。だから人間って、人間の体温を感じることで安心したり和らいだり解けたりするわけですよね。

「やばいよね(笑)!ひとりじゃない、って思えるからかなあ。だから余計に孤独を感じるようになるのかもしれないし。冷たいな…って思うことも手ざわりだしね。手ざわりの感触を感じられること、っていうのが大事なのかもしれないよね。こういうインタビューでも、記事にして読まれるまでの各段階を経たあとで、どれだけこの温度が冷めない状態で伝わっていくかじゃない?じゃあ手ざわりって何かっていうと、多分愛情なんだと思う。手と手が触れて感じるのは、愛情の伝達なんだよね」

——歌う人と聴く人の交感ってありますよね。

「俺、あんまり好きな言葉じゃないんだけど…“テレパシー”みたいなものなんじゃないかなって思う。照れくさいけど(笑)。お酒飲んでてパッと手を触れたらこの人軽いな、って思ったり、思ってもみないことを歌っている人を見てしらじらしいなって思ったり、そういうのも含めて。俺が弾き語りをしていく中で、最初にいいなって思ったキーワードは“裸の音楽”で、あと、“手ざわりの音楽”。これは弾き語りやアコースティックなスタイルでは、ずっと変わらずにイメージとして持ち続けてこの先も作っていこうと思ってる」

——私ライブってね、化けの皮が剥がれる瞬間を見たいんです。

「ん(笑)?」

——仮面だったり、それまでケースに入っていたようなものが、いきなり剥がれてバーン!となる瞬間。別に荒々しいものや、キレてくれとか思っているわけじゃないんですよ。でも、歌い手から無垢なものが出てくると、「今、この人の歌を聴いている」っていう実感があって。それを求めているばっかりに、年々聴く音楽が狭くなっているんですけど…。

「それも手ざわりだよね。核心に迫ろうとしているのかな。欲求だとか、探求かもしれない。だからこそ、弾き語りをやらない方がいいアーティストもいたりするじゃない。それがエンターテイメントの形として正しいんだろうし。弾き語りはよくもわるくも本当に真っ裸になっちゃうからね」

——ここ数年、というか特にこの1〜2年、和奏さんと、あと海北さん(LOST IN TIME/海北大輔氏)の弾き語りのまわりっぷりが、半端じゃないんですよね…。もはやライフワーク…。自分の足で動いて、直に届けにいきたいって思っているんだろうなと。

「音楽にまつわるもので興味があることはなんでもやろうと思っていたのが3年前で、ノーリグが1年間休むっていうときだったんだけど、色んな可能性を膨らませたいと思ってやりだして。たとえばLive Bar Crossingの運営や、ギターの先生や、あんまり公になっていないけどCMの声のお仕事だったり。レーベルの運営やプロデュースや楽曲提供もそうで。今度はね、それらが自分が生み出す音楽にアウトプットしていくっていう純粋なタームにさしかかっている気がしてる」

——そんな大それたことは言えないんですけど…、ノーリグの頃からずっと並べて聴いていると顕著だと思うんですが、和奏さんの歌が変わったなあと、それもまた魅力だなあと思っているんですよ。

「自分の感情は、歌っているときがいちばんフラットでね。歌詞を書くときにいちばん感情を込めるけど、歌うときにまったく同じ感情になるかって言ったらそうじゃないし、感情を込め過ぎたら伝わらないこともある。それに、曲はずっと残るけど、10年後も歌っているかもしれないし、歌いたくないと思う日が来ることもあるんだよね。逆にずっと歌ってなかった曲に、ふと向き合えたり…。それでいいんだよね。だんだん自分の気持ちに純粋に、っていうか貪欲になっていると思う。ワガママっていうか」

——そのときの自分が、その曲に対して素直になる。

「そのときの感情が歌だと思うから。アウトプットしているもの…分泌物みたいなものだよね。だから、実験ではないけど、今やろうとしているものは、タイムリーに出していきたいなって思う」

 

04弾き語りで今、色んな町にいってダイレクトにつながろうとしているのは、自分が生きていることを実感したいのかもしれない。


 
——リリースツアーも残すところ、大阪・東京のワンマンを残すのみになりました。バンドはどういったメンバーで構成されていますか?

「この2枚で携わってもらった仲間(Gt.高橋レオfrom,TOY / Gt.中内正之 fromセカイイチ、f4-high / Gt.choro from Jeepta / Ba.おかもとえみ fromボタン工場、ex.THEラブ人間 / Dr.石川龍 fromザ・チャレンジ、ex.LUNKHEAD)と、ピアノで秦千香子(ex.FREENOTE)です」

——バンドで鳴らすことを思い浮かべながら作ったアルバムだし、そのファイナルだからこそバンドセットっていうのは当然だと思いますが、仲間と一緒に歌うって、いいですよね。

「いまは弾き語りでライブをすることがほとんどで、自由でいいんだけど、ひとりぼっちな瞬間ってすごいあって。だから余計に、スタジオでバンドメンバーと合わせているだけでむちゃくちゃ楽しいなって(笑)。両極端を味わったりしているから、バンドはほんとに楽しいよ」

——その極端を兼ね備えてバランスをとっているところもありますよね。ソロプロジェクトでありながら仲間と奏でているというのは、やっぱりバンドだと思うし。

「うん。やっぱりバンドがやりたい。俺はやっぱりバンドマンなんだよね。バンドで大変なことさえも今は楽しめるのかもしれないって、そんなことをいっぱい思ってる。バンドいいよ、アンサンブルっていいよ」

——またバンドを組みたいですか?

「うん、やりたいよ。3.11(東日本大震災)をキッカケにして、バンドとかのくくりを自然に飛び越え始めたじゃない。もっと混乱するのかなって思ってたけど、むしろ音楽の表現は自由なんだっていうことを感じた。俺も弾き語りをやるキッカケって3.11なんだよね。それまでは敢えて封印していたところもあったし。でも瞬発的なアクション⇔リアクションっていうのがダイレクトで、しのごの言ってる場合じゃなかったし、それってやっぱり生きるっていうことと直結するし。あれ以降やっぱり日本のミュージシャンの動き方が変わったよね」

——大前提の部分だけを残してすごく自由になったと思います。自由に動くことに対してとやかく言う人もいるけど、それすらもう気にならなくなった。自分が信じて動くことに対して邁進するようになった。

「アンチな意見があればあるほどどんどん強くなってる。著名な人たちは、組織力を作れるでしょ?あれはすごい必要だったっていうか、自発的に何かやらなきゃって身体が動いちゃったんだと思うんだけど、俺はそっちの類いじゃなかったんだよね。何ができるんだろうってすごく考えた…。こういう発言をするのは気を遣うじゃない。でもパッと思ったのは、俺は目の前にいる人をハッピーにしたい。今もそうで、せめて身近な人たちがハッピーになることをしようって。すぐには遠くまで届かないかもしれないけど、俺に出来ることは足し算だから、ちょっとずつ。自分もハッピーになりたいしハッピーでいたい。嫌なことやツライことがあったり、人を傷つけることや仲たがいすることもあるけど、心の底から人を恨んだりはできないじゃない。それで自分もハッピーだったらいいし、自分が思い浮かぶ人からまずそうなって欲しいって」

——自分が歌うことによって、また。

「ちょっとずつでもさ、歩き続けていたら日本じゅうを回れるし、ニュースにはならないけど、間違いなくつながっていく瞬間がある。俺は広島で阪神淡路大震災を体験してるし、3.11も経た。それで俺ができることってなんだろうって、できることを考えなくてもいいのかもしれないんだよ。困っている人を助けるとかじゃなくて、自分の日常に戻ろうっていうことを、ちょっとずつ周りに伝染させていけたら…」

——自分の生活や目の前にいる人を大事すること、それが広がっていくこと。最低限すぐに始められることですよね。

「平和ボケっていうか、クライシスボケもちょっと違うでしょ。東北の人たちもさ、助けに来たっていうんじゃなくて、普通に遊びに来てよって思ってる。向うの人はほんっとにタフだからね。『hope』っていうオムニバス(東日本大震災の発生後、STEP UP RECORDSが主宰して制作された、チャリティーアルバム。14アーティストが参加)のツアーで、石巻や宮古や大船渡に行ったんだけど、すっげえ大変だったんだろうな、っていう以上に、現地の人たちはすでに元気だった。肩すかしも食らったし、現状も見たし、人間ってすげえなって思ったな。単純に募金しなきゃ、とかそういうことじゃないくて“元気?”って会いに行くことが大事だなって」

——向うの方のおもてなしってすごいですよね!私も岩手の沿岸部に行ったときに、朝に避難所に着いて、向うの方に会って、「ちょっと待っててね」って言われたと思ったら、その方がアワビのお刺身を持って戻ってきたんですよ(笑)。朝9時から、アワビ(笑)。それが彼らの昔っからの客人の迎え方なんだと思うんだけど、こちらは勝手に構えていたから、衝撃だった。

「そうそうそう!その日常感。自分、何しに行ったんだっけって(笑)。でも、やっぱりメディアには載らないようないろんなことがあったわけでさ。自分の目で見て感じないとわからなかったりするし、だけど、生きている人がいるっていう力強さだよ。俺さあ…、弾き語りで今色んな町にいってダイレクトにつながろうとしているのは、自分が生きていることを実感したいのかもしれない」

——自分が生きていること。

「かっこいい言い方かもしれないけど、なんで今も俺が音楽をやっているか、歌っているかというと、それなんだよな。俺はまだ自分を試している最中で、青臭いけど、音楽のパワーみたいなものを、まだ自分が信じたいんだと思う。まだまだ青臭い景色を自分が思い描いていて、夢があるんだよ。だから、人の本当の強さやあったかさみたいなものを……探してんだろうな」

——色んな人に触れているなかで、その断片を集めているのかもしれないし、それに完成形があるのかは誰にもわからないけど、歩き続ける。

「30を過ぎて、逆に泥臭いことをしたがっているっていうことがやっぱりある。余計に感情は振り幅が増えてきた気がするよ。欲張りにもなっていると思うし。でも人生って1回だからさ」

——そうなんですよ、1回なんですよ!

「だから、したいときにしたいことしなきゃ。思っていることをやったり言ったり、感じたりしなきゃ。今日の取材の前にさ、この先のこととかを色々と考えていたんだけど、ふと家のパソコンで音楽をかけたときにね、ノーリグの最後に作った「ラストソング」(『Memory & Record e.p.』収録)が流れてきてさ…、俺が欲しかった言葉が出てきたんだよね。“どこにいても思いのまま僕の日々を刻んでいく”っていう部分でさ、おお、俺は1年前の自分に勇気づけられてんなって(笑)。いつ死ぬかわからないっていう言い方はあんまり好きじゃないんだけど」

——刹那的とはちょっと違いますよね。ゴールを探してるんじゃなくて、足を使って色んなものに触れていきたい欲求が、どんどん出てきているんですね。

「明日こうなればいいかな、じゃなくて、今日を毎日更新していく。いよいよ自分の5年後なんてまったくわからないじゃない。音楽やってないかもしれないじゃん、でもそれも自分だし」

——般的な尺度からいうと、30代半ばってどんどん落ち着いてく年齢じゃないですか(笑)。

「真逆だよね、俺なりに葛藤もあるけど(笑)。そういうときに背中を推してくれるのは、自分は自分だし、人生は一度きりだし、死んじゃったらなにも残らないってことでさ。まあ、ぜったい、身近な人たちには迷惑はかけるよね(笑)。どうしたって巻き込んじゃうんだよ。迷惑をかけたくないからやりたいことをやらないのは絶対にウソだよね。だってみんな周りに迷惑かけて生きてきてるもん」

——そうですね。このツアーが終わったあと、和奏さんが何してるか、ご自身にも本当にわからないですよね。

「そのときの自分次第。でも自分は、来年も音楽を作ってうたをうたっている人間でありたいなっておもう。どういうかたちかはわからない。どさ回りを続けるかもしれないし、心のママにね。どうしたって、自分で自信があるものしか出さないから、その瞬間にあるものは、絶対に間違いないんだと思う」

 

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いとう・さわこ●1984年うまれ。あいもかわらず都内でOLやってます。しかし光陰矢の如し!ほんの1年半くらい前に、当連載でLOST IN TIMEの「30」を紹介しつつ「30代かかってこいや!」と豪語していた私。ついに今月末、30代を迎えます。ありがとうございます!疲れが取れにくくなったのは否めませんが、ランニング部の活動で健康美を追求してゆく所存。大人だからと子どもの部分を捨て去るのではなく、諸先輩方に続いて、楽しむスペシャリストでありたい。ていうか捨てらんないっす。引き続きよろしくお願い申し上げます。