社会人という響きがいつも曖昧なのは、ずっと私がその境界線を彷徨しながら、抽象的な思考を高めながらもこうして生きていけている、それが大きいのかもしれず、同学年のすぐに就職をされた方を傍らに、沈思黙考していた時期があったからとも言えます。こうした旅の体験を話しますと、「色んなところに行けていていいね。」という声も受けますが、決して楽しいばかりが旅行ではなく、付随してあまりあるトラブル、命の危機、移動という負荷も大きいのは事実です。言語が通じなくていざというときに困る、そんなこともありますし、いまだに日本語自体ままならず、英語にしましても、細かいニュアンスを伝える苦労は感じます。

商社でスーツを着てネクタイを締めて、一日のメリハリを昼食や会社を出た後、居酒屋の電飾に揺れていた時期。そこから、学究といういまだに濃霧のように迷ってしまう道の途中、2007年に同じ大学の知り合いが現地で働いていること、と、父の知り合いのファミリーが居るということでシンガポールに行きました。そのときは今ほど、東南アジアの情報を持っていなかったのですが、それでも、整然とクリアーなチャンギ国際空港に降り立ったとき、また、赤道直下に位置するのもあり、暖かい空気が運んできたオリエンタルな香りは鮮明でした。ちなみに、色んな空港の建築構造は見るのが趣味なのですが、フランスのシャルル・ド・ゴールと並んで、個人的に好きな空港のひとつです。

着いてからは、一応は象徴たるマーライオン像を観に行ったりしたものの、現物はどうにも想像を下回ることが多く、そのときも「観た」という感触だけが強く、それよりも、多様な民族の方が行き交う国でもありますので、そういった方々の息吹の坩堝にエネルギーを得ました。大学の知り合いに連れて行ってもらった、カクテルのシンガポール・スリングの発祥のラッフルズ・ホテルの雅やかさも忘れられません。ジンをベースにチェリー、パイナップルなどの風味が漂うフルーティーなカクテルで、日本でも浸透はしていますが、宵闇に輝くラッフルズ・ホテルでは生演奏のバンドを見ながら、落花生を食べながら、その殻を床に落とす、殻だらけのフロアーの雰囲気は独特でした。

ナイト・サファリも欠かせないでしょうか。観光で行かれた方なら必ずコースに組み込まれていたり、スポットとして有名な、いわゆる、夜の動物園をトロッコみたいな乗り物で巡るというもので、身近なレベルでフクロウやライオンを観ることができ、本当に至近距離で驚きもしました。

そして、ホテルの部屋にまで押しかけてくれた父の知り合いの夫妻は地域的なものがあり、ほぼ出ることがないと言っておりましたオーチャード・ロードというブランド店や百貨店が並ぶとおりに歓待してくれ、張り込んで「何でも食べていいよ。」と言ってくださった心遣いが嬉しく、その後、彼らの家にお邪魔させてもらったり、奥様からは日本に来たときの写真を見せてもらいながら、色んな話をしました。オーチャードで食べましたステーキのような、よそ行きの食べ物よりも、ということで、そのお父さんと家の付近の大衆的な食堂で食べたナシゴレンは美味しかったものの、見事に中ってしまい、ホテルで七転八倒し、ホテルの方にご迷惑を掛けたのと、そのナシゴレンをもてなしてくれた表情、その後、帰国して、数年後、その方の訃報を聞いたこと、まさしく一期一会という言葉が相応しい時間でした。旅は出るまでが愉しいというのもありますが、旅で出会いますと、別れが必ず来ます。しかも、すぐには会えない遠い場所に離れてしまう、そんな。

音楽では、HMVなどもありましたし、現地のCDショップではマルーン5から日本のポップス、ジャズまで色々と手に入りましたが、そのとき、TVを観ていましても、街でもよく流れていたのが既に世界的なバンドとなっていましたコールドプレイでした。彼らの存在はサマーソニックでライヴを観ていたりしたものの、そこまで魅かれるところはなく、寧ろ距離を置いていたところがあります。当時は、あの勇壮なストリングスが印象深い「Viva La Vida」もリリースされていなかったのですが、なぜか眠れなくて、ホテルのラウンジで休んでいたときにBGMで2002年の『A Rush of Blood to the Head』にも入っており、リード曲だった「In My Place」のドラムが叩かれ、80年代のニューウェーヴ直系の繊細なギターのイントロが鳴った途端、全く違う温度とともに、感極まってしまいました。“私とあなた”を通じて描かれる所在のなさ、アイデンティティの不安を歌ったシンプルな英詩が耳に入っても、誰もが「わかる」曲。そこで、あのクリス・マーティンの独特の癖のある歌い回しで〈how long must you pay for it?(いつになったら、報われるんだろう)〉というラインが入ってきたとき、これまでとこれからの過渡期に居た自身の心情とたまたま共振したのかもしれず、音楽はときにそういうことがあります。

あの後、「In My Place」という曲を聴きましても、当時と同じ心境にはなることはなく、そこから、今に至る道が繋がっていたとも思える一瞬でした。あのとき、シンガポールに行っていなかったら―たら、れば、はどんな事象でも後付けですが、大きい意味を持つ数日間だったのは紛うことありません。

 

 

 

まつうら・さとる●979年生まれ。大阪府出身。今春は桜を多く観ましたり、環境変化に追われる中で過ごしながら、ワインが美味しくなってきました。新しい眼鏡をスペア含めて、何個か買おうと悩み中ですが、つい掛けやすい眼鏡に回帰してしまいます。音楽では、ヴァンパイア・ウィークエンドとフェニックスの新譜が素晴らしかったです。こんな時代こそ音楽は必要だな、と心から思います。