今はSNSなどが発展したのもあり、ネットワークの稀薄さ、距離を感じることも、逆説的に、リアルな現場がより大事にも思えるようになっていますが、親友と呼べる人は人生の中でどれくらい出会うのでしょうか。いや、寧ろ、育まれてゆくのでしょうか。

私自身は幸いにも、充分ともいえます片手で足りるほどの親友と呼べる方々が居まして、都度、会ったりしてはフランクに昔話から今の話までします。環境も年齢も風貌も変わってしまっても、一緒に居るその時だけはずっと最初に出会ったときのようなまま、そんな感情もありながらも、生き延びてきたからこそ都度、共振できる関係性は、まるで、知恵の輪をほどくように不思議なものです。

その親友と言える一人に、今はアメリカで生物学の学究を進める高校時代からの長い付き合いになります学者の方が居ます。同じ部活だったのが由縁で、よくあるかもしれませんが、ファースト・コンタクトはこれだけ長い付き合いになるとは思えない、反発が双方にあったもので、それは青さの賜物に収斂するのでしょう。向こうはこちらに「軽佻浮薄な、気の好かない人」、こちらは相手に「頑迷固陋なややこしそうな人」、みたいなイメージが交叉しており、それが、彼が東京の大学に、私が京都の大学にわかれてから以降、より親密に何でも話せる仲になっていきました。専攻分野が違うのもあったのですが、知的好奇心や文化への姿勢が似ていたのが大きかったかもしれません。

そんな二人でいつも話していたのは、「いつか海外に旅行へ行きたいね。」ということでした。さほど忙しくないときにはお金はなく、お金が出てきたときには忙しくなり、という当たり前の規律が双方を覆うその間隙を縫い、ようやく、2009年の3月に台北に短い旅行に行きました。旅費の問題もあったのですが、日程、彼が利用する成田空港、自身側の関西国際空港からの現地に到着する時間、距離を合わせたプランニングで丁度、良い場所だというので決めました。なぜか、彼の取ったホテルは結婚写真を撮る店に囲まれたストリートの一角にある年季のあるところで、真っ暗な朝方からフラッシュの音、光が近隣から漏れてきたのは微笑ましい想い出です。

兎に角、何も考えず、何かの時にはどうにかなる、という想いで居られる人との旅行とは楽しいもので、浴びるようにビールを飲んで二日酔いの頭で故宮博物館に向かい、じっくり鑑賞しながら、スケールの大きさに驚き、天然石に着色された豚の角煮に頭をひねり、そのまま、向かった露天温泉(台湾では温泉も有名です)では広い空と、日本語の「熱海」と書かれた旅館などオリエンタルな和的情緒にのぼせそうでした。親日という意味で、台北の街を歩いていましても、ふと、現地の音楽に混じって、安室奈美恵さん、中島美嘉さんの声が聴こえてきたりしたものでした。

雨の降る中を商店街をひたすら歩いたこと、小龍包を食べたこと、部屋のベッドでぼんやりと未来を語り合ったこと、足つぼマッサージに行ったものの、観光客向けの明らかに手抜きだったこと、ここまで来れてよかったということ。そんな「瞬間」はすぐに「永遠」を止揚し、台北の夜市(夜に開かれる、市)の灯が水たまりを撥ねながら、消えてしまうのかもしれず、それから彼はアメリカへ、私は日本でベースを固めていきながら、歳月は流れても、残念なことにまだ「次の旅行」は叶っていません。

しかし、彼と対話するときに、時おりは台北の話になり、天気があまり良くない日が続いたものの、灯がつきだすと安心したのと寂しさを覚えたよね、という内容にもなります。夜を迎えつつあるということは、朝が近付く、つまり、旅の終わりが近づいているという訳で、だから、最終日の夜に少しはりこんで、中華料理店で美味しい蟹などを食べたとき、迫る旅の終わりといつになるか分からない今度の旅行先が既に脳裏をよぎっていたのだとも思い返します。

人生を旅というフレーズに例える方もおられますが、私感では、旅とは基本は何にも馴染まず、過ぎてゆくエトランジェとしてのポーズが先立ちます。人生は何かと馴染み、そこと反発し、ときに対峙するものだからです。台北で感じてしまった絆、とずっと同じであるというのはないことは、カタコトの日本語が行き交い、温かく優しい街の方々含めて、静かにその後の私のアンテナを曲げていったのかもしれず、その曲がったアンテナで拾う声は、周囲にはノイズに思えるものばかりだとしても良いのだとも思っています。その彼と約束しました次の旅までに、集音したものをしっかりと言葉を換えて届けられるからです。

 

 

 

まつうら・さとる●1979年生まれ、大阪府出身。今年、2013年は音楽のみならず、文化と教養に埋もれたいと思っております。ここYUMECO RECORDSさまにも何かとお世話になりながらCOOKIE SCENEなどをベースに多岐に渡る執筆活動を行なう研究員、にして左岸派。健康志向に拍車が掛かってきました。近況としては、朝型の生活が定着したためでしょうか、夜に早く眠くなってしまうことを周囲に若年寄りと言われるような在り方を再考したいものです。