某月某日:今日もまた暗闇の中へ。新宿バルト9で、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を鑑賞。2Dでも、吹き替え3Dもなく、字幕3Dで。や、3D映画ってあんまし良い記憶がないというか、何かのアトラクションを観ているようで、まあそれはそれで楽しいんだけど、どうも「映画を観た!」って気がしないんだよね、個人的には。去年、『ヒューゴの不思議な発明』観ながら爆睡したし(3D映画で寝るという贅沢!)。とはいえ、あのアン・リー(『ウェディング・バンケット』大好き)が、どんなふうに3Dを使って来るのかな?という興味もあり、一応3Dで(ホントは、IMAX 3Dで観たかった)。

 

 

さて。物語は、予告編やサブタイトルの通り、パイ少年がトラと漂流するお話です。もっと細かく言うと、インドで動物園を経営する一家が、新天地を求めてカナダに移住することを決意。動物もろとも(動物は、インドよりカナダのが高く売れるんだってさ)貨物船で太平洋を渡ろうとするも、途中で大嵐に遭遇、救命ボートに乗ったパイ少年が文字通り“太平洋ひとりぼっち”状態になるという……否、正確にはひとりぼっちじゃないや。小さな救命ボートには、パイ少年のほか、シマウマ、オラウータン、ハイエナ、そしてベンガルトラ(!)が、実は乗っていて……まさしく、“パイの方舟”状態であります。

 

そして。極めてサバイバルな日々を送る中、やがてパイ少年はトラと心を通わせるようになり……227日後、なんと奇跡の生還を遂げるのです! みたいな話では全然無いというのが、この映画のキモでした。劇中序盤で明示されるように、トラと心を通い合わせることなど、現実問題できないわけで……かといって、この映画が現実的かというと、これまたそうではないのです。まず、同乗していたシマウマ、オラウータン、ハイエナが、いつの間にか姿を消します。それこそ、跡形も無く! そして、CGと3D技術の粋を集めて描き出される、洋上の景色の非現実的な美しさ!! さらに、ようやく辿り着いた“無人島”の、幻想的かつ荒唐無稽なイメージ!!!

 

結論から言うと、この映画は、いわゆる実録形式の冒険譚などでは全然ありませんでした。もっと言うならば、この映画は紛うこと無き「絶望」についての映画でした。いみじくも、ポール・オースターの『ムーン・パレス』という小説の中に、次のような一節があります。「あまりにも大きな絶望、あまりに圧倒的で、すべてが崩れ落ちてしまうほどの絶望、そういうものを前にしたとき、人はそれによって解放されるしかないんだよ。それしか選択がないんだ」。いったい、どういうことでしょう? 圧倒的な「絶望」は、「絶望」そのものによって解放されるしかない?

 

ここでもうひとつ重要になってくるのは、村上春樹が言うところの「物語の力」です。人はなぜ「物語」を必要とするのか? その「物語」を潜り抜ける前と後で、果たして人はどんなふうに変わるのか? 村上春樹が「マジック・リアリズム」にこだわるのと同じように、アン・リーは「スーパー・ナチュラル」な「画作り」に、徹底してこだわります。逆に言えば、それが技術的に可能になったからこそ、英米では非常に哲学的な一冊として評価されている、この英ブッカー賞受賞小説『パイの物語』(ヤン・マーテル著)の映画化に踏み切ったのでしょう。

 

このように、『ライフ・オブ・パイ』は、決して一筋縄ではいかない映画です。なぜなら、そこに登場するすべての物事には、象徴的な意味が隠されているからです。シマウマ、オラウータン、ハイエナ、そして「リチャード・パーカー」(ここにも重要な意味があります)と名付けられたトラは、それぞれ何を象徴しているのでしょうか? そして、実は驚くべき「二重構造」を持っているこの「物語」は、それを潜り抜けた我々に、果たしてどんな「意味」と「効能」をもたらせるのでしょうか? 美しい映像世界(特に“水”の描写が秀逸でした)に酔いしれながら、心の片隅で、そんなことを考えてみるのもいいかもしれません。

 

ちなみに。投げっぱなしで終わるのもアレなので、ひとつだけ。フランス語で「プール」(ここにも“水”のイメージが!)を意味する「ピシン/picine」と名付けられた少年が、自らの愛称を「パイ/pi」――ギリシア文字で16番目に位置する“π”、いわずと知れた“円周率”を表す記号――に決めるのも、実は重要な意味を持っていると僕は考えます(そう言えば、漂流するパイ少年は“16”歳だった!)。便宜上、“3.14”とされる円周率ですが、厳密には“3.14159…..”と少数点以下が循環しない形で続く“無理数”と呼ばれるものです。簡単に言えば、永遠に「割り切れない」数ということです。で、教科書などに載っている公式通り、与えられた円の直径に円周率を掛けると、その円周が求められるわけですが……もちろん、円周は実測可能です。普通にメジャーを当てればいいんだから。しかし、その円周によって閉じられた“円”の中には、常に“π”という「割り切れない」数字が隠されている――そう、一個の独立した存在であるように見える“円”の中には、常に「割り切れない」ものが含まれているのです。なんだかそれって、すごく“人間”そのものを表しているようじゃありませんか? まさしく、“ライフ・オブ・パイ”。以上、『ライフ・オブ・パイ』の哲学的一考察でした(微笑)。

 

むぎくら・まさき●LIGHTER/WRITER インタビューとかする人。音楽、映画、文学、その他。基本フットボールの奴隷。