今でこそ、もうそれほどでもないのかもしれないのですが、私が多感な時期をおくっていました90年代後半というのは、仏文化の影響を避けるのは困難でもありました。文学では、村上春樹さんは既に絶対的地位を保っていましたものの、蓮實重彦さんの映画評、大江健三郎さんの一連の著書、サンジェルマン・デ・プレ、セーヌ川、左岸でのコーヒーの味をおぼえてしまいますと、どうにも実存がそちら側に傾いてゆくようになります。セルジュ・ゲンスブールやゴダールを初め、日本は今でもフランスという国への視座が独自の解釈されているような気が致しますが、「文学部では、仏文学」ということを両親から昔から聞いていました私としては或る時から、そういった大文字のエリートを迂回し、傍流に行ったと言えるかもしれません。

だからともいえます、この連載の第一回目が北京でしたように、アジアから数え直す呼吸や教養によって、新たに再建しだす街やそこに住み始める人たち、夜と朝の境目たる灯が増えてゆくのを見てゆくことで、自分がどう生きてゆくべきか、を追認していたのかもしれません。

 

この「街の灯」もひとまず、次回で区切りになりますが、一年に渡り、ベースとなるものは同じような想いが通底していたような気がします。それは例えば、地球儀の中にある限り、通じない言葉はないこと。多くの環境の差異はありましても、生活の色彩には偏りはないこと。また、出来る限り、その場でのその空気や歴史、文化に触れてみることで“新たな気付き”があること。

世界はとても狭くなったような感覚をおぼえてしまうくらい、今は多くの情報やニュースが同時にそれこそ小さなスマートフォンやタブレットの中に流れますが、その「枠」の外の現実できっと、約束や日曜日の憩いや恋人や友達、子供の声を待っている人たちは増えている、そんな確信を得たりします。

 

色んなところで起きています天災や人為的な不幸を見聞きするたび、心が軋みますが、膨大になってきますと、麻痺してゆくのもあり、どこまで自分が関われるのだろうか、という問いよりも、どこにも自分は関われないなら、とTwitterで無限の多くの言葉が流れるTLを見て、取捨選択さえできなくなってしまいますときに、度々のパリでの少しの暮らしを想い出します。

 

さて、空港としてもシャルル・ド・ゴール空港が三本の指に入るくらい好きなのですが、大体、パリに行きましたら、行く場所は凱旋門でもエッフェル塔でもなく、パンテオン広場、ソルボンヌ通りでして、それは親しき人がずっと学徒としておられたという背景があります。その方とは、よくカフェで、コーヒーや紅茶一杯ほどで数時間も談義したものです。ゴダールなど仏映画のことや実存主義のこと、幾つものテーマを背伸びしながら。いつもそうしていますと、隣や周囲から「私は、それについてはこう思うよ。」と現地の方が参加してきましたり、賑やかになったものでした。

30代の半ばになって今さら、と言われるかもしれませんが、議論を交わす愉しさの原基はそのときにあったのかもしれません。

 

 

 

そして、パリではワイン・バーで色んなワインを飲み、おつまみとして生ハムや珍味を食べ、でも、ホテルではビールを飲み、眠りに就くということも多く、この「街の灯」の裏テーマの“ビール”が世界共通としての飲み物としていつかに筆述しながらも、パリではメインのアルコールはワインで、ビールはそうではない、という捻じれた部分での含みもここで表象したいと思います。

ワインのお供の代表格はフロマージュに対して、ビールがオリーヴやスナックがそばにあるというジャンクな感じも自身に合っていたというのもあります。フランスビールではスタンダードなのはクロネンブルグでしょうか。日本でも輸入されていますが、アルコール度数が違うものや味の違うものがあります。なお、私が好きなのはクロネンブルグ1664です。喉ごしが清涼で飲みやすくも、じんわりホップの味が染み入るのも良いです。

 

フランスと言いましても、南部のモン・サン=ミッシェルなどと違いまして、観光的、文化的に集約されます都市はやはり、パリになるのでしょうが、しかし、以前、暴動が起こりましたように、区域によりセグメントされています状況下は優雅さとは、別種の日本と当たり前の生活してゆく場所としてのそれです。

シャンゼリゼ通りなどをブラブラと歩いていますと、大きなバスが次から次へと停まり、元気な日本人の方々に向けてガイドの方が「では、1時間後に!」と言われまして(これは何処でもある景色ともいえますが)、何かしらその集団に巻き込まれてしまうこともあります。「兄ちゃん、詳しかったらどこのお店に良いインテリアあるかな。」と聞かれるのも悪い気はなく、同じように買い物に付き添ったりもしました。

セーヌ川からの風を受けまして、好きな映画での亡き淡谷のり子さんのこんな曲を聴いていました20代後半、私はこんな今を想像さえしなかったものの、しぶとく生きてゆくもので咲いてゆく花があるのだな、と強く想います。

 

http://youtu.be/gzPKtWOXg5E

 

あてなく一人 日ぐれまで
歩きめぐれば 酒場のさかり

 

なにかとあてどない日々とも、自分の知らない誰かがどこかで生活し、ひとつの場で同じ時間を共有しているのならば、個々の中の灯はきっとまたぽつりぽつりと灯りはじめるのでしょう。

 

 

 

まつうら・さとる●1979年、大阪生。研究員、音楽メディアCOOKIE SCENEなどでもお世話になっております。このYUMECO RECORDSさまでは気付けば、この連載のみならず、多くの記事を書かせて戴き、感謝の限りです。主宰の上野さまの御結婚、そして、何よりもご出産の無事を願いながら、なだらかに変わりながらも未来は続いてゆくのだろうな、と思います。余談ですが、鍋の季節。私は、もみじおろしが欠かせません。