sakamakipapi2

大好きな漫画家、鴨居まさね先生が愛するウチの子(犬猫などの家族)たちを描いてくれるという企画を、時々、instagramでやっていて、祖父に抱かれる愛犬・パピィちゃんの姿を描いていただきました。見つめるだけで、泣ける。


何から伝えればいいのかわからないまま時は流れて3か月ぶりに原稿を書いています。お久しぶりです、私です。
ちょっと元気がありません。というか、疲れています。

前回の記事で、祖父が宣告された余命を過ぎて、元気に頑張っているよ、奇跡を更新しているよ、ということを書きました。それから2か月が経とうとしていた年末に、祖父は虹の橋を渡り、旅立ちました。

亡くなった当日に超特急で送り出す準備をするべく、母と祖父宅にて合流(祖父は母方です)。結婚式で着たという紋付き袴を発掘し、先に旅立っていた愛犬のブランケットと一緒に棺に入れることにした。それから、葬儀のあとに親戚たちを迎え入れられるようにと、猛スピードで掃除や片付けをした。破れた障子を貼り替える作業が私にはとても向いていたようで、介護用ベッドが片づけられてがらんとした和室で全集中しておこない、肉体的にほどよく疲れながらも、終わった後はとても清々しく気持ちよかったので、またやりたいと思っている。

その日から3日後に祖父の通夜、そして葬儀が予定されていたが、実はその作業の真っ只中に、私はオットからとある連絡を待っていた。何の? そう、インフルエンザの検査結果である…。鋭い方はお察しの通り、その後晴れて陽性と診断、翌日、息子の高熱がスタートした。指折り数えてみてほしい。私はあと何日罹患せずに耐えれば、通夜・葬儀に出られたのだろう? 通夜当日、私はまだ発熱していなかったが、高熱の息子をインフル野郎に託していくわけにもいかず、泣きながら欠席を決めた。母は、明朝私に熱がなければ、完全防備でみんなと距離を取っていればいいから来なさい、と言ってくれた。しかし、願いもむなしく、3歳児の看病を至近距離で行っていた私は、その夜から見事に発熱した。

そして翌朝、もう絶対にクロだから葬儀には行けない、と家族に連絡をし、高熱のせいだけではない打撃で朦朧としながら近所の内科を受診。医師に感染のいきさつを話し、9割型確定だけど、たまにもう一つのアレということもあるから、ごめんだけど検査するね、と謝られ鼻をぐいぐいされ、付着した鼻水の質を見た看護師さんに同情され、「大人の40度ってなかなかないからよくここまで来られたね」と謎に慰められ…。その間じゅう、私は「なぜ私が、祖父の葬儀に出られないんだろう」とずっと考えてた。

ただただ意味不明だったのだ。大好きで、仲良しだったおじいちゃん。私が30を超えても結婚はおろか彼氏もおらず不憫に思って一番の遊び相手になってくれたおじいちゃん。老いを重ね、その時が近づき、認知機能が…と言われてからも、手を握ったらじっと握り返してくれた私のおじいちゃん。なんで私が、おじいちゃんの骨を拾えないんだろう。今書いてても、涙が出てくる。前世の業でしかないだろう、前世の私、マジで何をやったんや、と誰を恨んでいいのかわからないもはやパニック状態。ちなみに一番にインフルエンザをゲットしたオットには、「風邪を引くのもそれがインフルだっていうのももはや確率の問題だから、あなたを恨んではいないけど、この気持ちをどうしていいかわからない、やり場がない、しばらくは私は、元気が出ない」と変な宣言をした。

ところで祖父は、私の友人の間でも、ちょっとした有名人だ。私がインスタに祖父の写真を載せてきたせいなのだけど、そのチャーミングさに虜になってくれた友人が1人や2人ではない。私の結婚式で生の祖父を見た友人の一人が、思い切って祖父の元へ駆け寄り写真を求めたことで、周りにいた別の友人たちが列をなし、祖父との記念写真会が開催されたという伝説がある。当人は状況がわからず困惑したものの、やはり女子たちの声にまんざらでもなかったようで、かなり優しい顔で、彼女たちの写真に写っていた。

実はそんな友人たちのほとんどに、いまだ祖父の旅立ちを伝えられていない。私が見送れていない、という事実が自分の中で整理がつかず、文字通り、あんなに「祖父との時間に思い残したことはないから、受けいれる準備はできている!」と豪語していたのに、まさかこんなオチがつくとは。さすがに想像できなかった。そんな未来予想図、思いつかんやろ普通…。でもあまりにもつらくて、2人の友人にだけ、報告とともに、真実を愚痴った。年末に祖父の死とインフルエンザによる一家全滅が重なり、転職してまだ半年の仕事に穴をあけてしまったのだ。愚痴ぐらい聞いてほしい。

彼女たちは想像だにしない状況に困惑しながらも、「おじいちゃんも、あなたの記憶に残る最後の姿は、生きているときが良かったんだよ」と口を揃えて言ってくれた。ちなみに母にも言われた。正直、自分の友人が同じ目に遭っても、私も同じことを言うだろう。でも、そういうことなのかな、と、思えなくもない。祖父はそういう考え方も持っているところがある。かなり前に祖母が亡くなった時も、病院にお見舞いには行っていたけど、亡くなった直後の姿は子供に見せるもんじゃないとかいって部屋から閉め出された記憶がある。じゃあもう、わかった、私の親友で彼氏のようだったおじいちゃん。望み通り、記憶をそこで止めてやる。そんな気持ちである。

間もなく四十九日を迎えるのだけど、そんなこと言っても、まだ全然気持ちは整理できていない。祖父はきっと今頃自由の身で、大好きなスイスの山の上空を飛んだりしているのかもしれないけど。年が明けて、インフルエンザのあとに咳喘息を重ねて肋骨にひびが入りながら、骨壺に収まって鎮座している祖父に御線香をあげに行った。尻に根が生えてるんじゃねえかというくらいいつも身を沈ませていたソファに祖父が座っていない。「使用済み」と丁寧な文字で書かれた紙が置いてある紙袋の束や、料理のメモや、柱に刻んだ孫たちの成長の記録。祖父の家に残っているあらゆる痕跡を見ては、涙が止まらなかった。祖父がいない。祖父が死んでしまった。悲しい。もう会えない。でも、私が生まれてから40年近く一緒にいられた、息子も会わせられた、なんて幸せだったのだろう。そう思うことにした。

棺に入れるものを整理して障子を貼り替えられて、よかったじゃないか。あれで携われたんだから、それでいいじゃないか。葬儀の日、親戚たちも「え、あの佐和子が来ないってマジ?」となり、LINE電話を使って生中継をするという兄の提案をお坊さんも賛成してくれるというまさかの展開。そう、これが現代。私は薬局で薬を待つあいだ、ソファに体を預け、意識を失いそうになりながらお経を聞いた。お坊さんの美声の何とも言えない響きと、40度の熱と、絶えることのない悲しみのすさまじいコラボレーションで、究極のマインドフルネスを感じる瞬間が何度もあった。あの時の私、大丈夫だったのかな(笑)。そんな体験を、もう、笑い話にできそうと、ようやく1月の終わりに思えています。ここまで長かったな(文章も長いし)。めそめそ期間を終わりにして、前に進もうと思います。納骨の時に骨壷を開けて骨を見たら、流石に怒られるでしょうか?

さて冒頭の絵は、大好きな大好きな大好きな漫画家の鴨居まさね先生に書いていただきました。祖父の亡き後、やり場のない気持ちを抱えて腐っていた大晦日に次回募集の投稿を見て、とにかく自分を癒したい一心で、お願いしました。ありし日のお犬と祖父の写真を何枚かお送りしたうえでエピソードをヒアリングしていただき、鴨居先生のなかでふたりの姿を膨らませ、それから描いていただきました。かつて年老いても可愛くてたまらなかったお犬のお茶目なエピソードを反芻するその時間は、その時の私にとってセラピー以外の何物でもありませんでした。そうして描いていただいたこの絵を見たとき、やはり私は涙を我慢できず、ひとりでおいおいと泣きました。

祖父が座っている椅子は、いつも尻に根を生やした様にそこから動かず沈んでいたソファ、手首にしているのは眠るときも入院した時でさえ外したがらなかった腕時計。そして、むんずと雑につかんでいるようで愛しく体に身を寄せているこの抱き方。晩年だったパピィちゃんのおむつ姿も、愛しくてたまらない。この写真を描いて欲しいとリクエストしたわけではなく、会話をしたなかで構図を考えてくださった1シーン。全て愛しくてたまらない…。こんなふうに想いをくみとって、かたちにできる(描くことができる)ってすごい。宝物がひとつ増えた、と素直に思えたので、祖父の写真とこの絵を飾って、今年はゆっくり、頑張っていきたいと思います。鴨居先生、本当にありがとうございました。

さて皆様、今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 
 
 
 


 
sawaいとうさわこ●鴨居まさね先生の漫画は、男性も女性も出てくる登場人物が本当に魅力的で、私の理想の男性は高校生の時に出会って愛読していた『雲の上のキスケさん』の主人公である漫画家の男性なんだけど、鴨居先生に思い余ってこの話をしたら「キスケみたいな男はこの世にいない」と笑いながら(メッセージで)返してくださいました。さて今、全国の大人たちの9割が思っているであろうことを言います。ねえ、もう1月終わるんだけど、やばくない???今年は、ゆったりとした場所に引っ越したい。もしくは引っ越し先を見つけたい。家なのか、地域なのかわからんけど。いま2秒息止めて「今年の目標は?」と考えたら、それが思い浮かびました。