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保育園の道すがらにあるミモザが咲きました。
毎日咲くのを楽しみに通っていたのに、あまりにも大量のふわふわだったので、息子は少し怯えていました。
そんな反応!

 
 

この原稿を書いている前日に、ひと回り年上の友人が亡くなった。闘病期間は2年足らずだった。最後の最後まで美容師の仕事をして、自らの最期の時を悟り、まさに亡くなる約2週間前に退職して、後始末が素晴らしいね、と、友達と泣きながら言い合った。

出会った時の彼は今の自分より少し若いくらいの年齢で、学生だった私は「こんな大人がいても良いのか、いや良くない」と、会うたびに驚かされることばかりだった。当時、慣れない一人暮らしとあまり良くない出会いに振り回され疲弊し、閉じ切っていた私の心の扉を彼は豪快にバールでこじ開けるようにぶっ壊し、彼の仲間たちの中に引き摺り込んだ。それからはあれよあれよと横のつながりができ、同じ大学、近所に住む社会人など一見してなんの集団かわからない仲間たちに恵まれた。私が親元を離れて進学したことを後悔せずに済んだのは彼のおかげと言って過言ではなく、自分も死ぬまで彼に感謝し続けたい。

彼は言い出したらキリがないほど「よく生きてたな…」と感心するエピソードに溢れている。ちょっと書けないことが多いけど(苦笑)、仲間の大切さを教えてくれたのは間違いなく彼だった。豪快で、いつシラフなのかわからないテンションで、毒舌で、それでいて誰よりも繊細でコンプレックスを抱え、そして優しい、ともだち想いのお兄ちゃん。

最期が近づいているとわかったときに友人と話をしていて、私が言った彼についてのとあるエピソードをその友人は知らなかったので、当時の写真があるからあとで見せるねと話していたのだけど、絶対にあるはずの場所を何度探してもその写真が収められているアルバムが見つからなかった。ないわけが、ないのだ。少し前に片付けた時にまとめたし、元気がない時によく開いていたから、ないわけが、ない。でも、どこを探しても見つからない。あのおっさんやりやがったな、と自然と笑えてきた。

共通の友人からの着信があったときに、嗚呼、亡くなったのだと悟り電話に出た。ふたりしてべそをかきながら、素晴らしい人だったねと言い合い、自然と連絡網のように私も別の友達に電話をした。晩年は抗がん剤の治療でかなり変わり果てた様相となった彼が、それでも本当に最期まで仕事を続け、自分の選択で治療をやめ、仕事をやめ、人生を片付けていく様は見事だった。治療の合間には友人たちに助けられながら山を登り、SNSだけを見ればあちこちにがんが転移してもう手の施しようがない人の生活にはまったく見えなかった。具体的に姿が写っているわけではないけれど、きっと大切な人が彼の姿を撮ったというのがわかる写真もまた、私たちの心を温めてくれた。

報せを受けてからもう一度、アルバムがあるはずの場所を見た。アルバムは当たり前の顔をしてそこにあって、絶対、彼の仕業だと思った。私たちが悲しみにくれないように、死ぬ前に思い出に浸って泣くのではなく、死んでからあいつほんとにろくでもなかった! と笑い合えるように、今出してきたのだと思った。

仰せのままに(と私が勝手に思ってる)、数々の悪行や、15年前の彼だけでなくそこに写る全ての仲間が若くてみずみずしくて笑顔が弾けて真夜中なのに発光しているような写真を、友人たちに送った。そこからまた私が連絡先を知らない友人にも広がり、みんなで距離を越えて笑いあった。夜中、私はうまく眠りにつくことができず、Instagramを見ていた。すると、同じような状態になってる友だちから次々にLINEが届く。返事をしたら、サワコなら絶対起きてると思ってた! と言われ、ちょっと嬉しくなった。

子供を寝かせながら暗闇で、明日の仕込みをしながら、1人の部屋で静かに献杯をしながら、みんな、それぞれの場所で、指の先がすり減りそうなほどたくさんやりとりをした。どれもくだらなくて悲しんでる暇がない話ばかりで、救われた。死んだ時にみんなが悲しまない準備を生きてる時から巧妙に仕込んで、ほんとに敵わない人だと思った。めちゃくちゃ悲しいし、時間を経るごとに不在が悔しすぎて喪失感が膨らんでいくけれど、亡くなった直後にこんなにあったかい気持ちで笑わせてくれるなんて、最高の贈り物をしてくれたと思う。酔っ払って粗大ゴミで捨ててある布団にくるまって幸せそうに寝た人なんて、私の人生であなただけだったよ。出会ってくれて本当にありがとう。あの日、私をみつけて闇の中から引っ張り出してくれて本当にありがとう。お疲れ様、そちらで焼酎やビールを好きなだけ飲んでね、酩酊状態でいいから、私たちのことをこれからも見守って毒舌吐いててね。

死、というものの受け止め方が、40代に近づき変わってきたことを実感する。誰だって、死ぬ。正直私だってあと何年寿命があるかわからないし、本音を言えば子どもの人生を見届けてから旅立ちたいけどそれは無理だから、最低限子どもが独り立ちするのは見届けられるよう願っている。そのときを迎えるまで、最期の1秒まで、自分に正直に、100%で生きていたいと強く思った。

 
 
 
 


 
sawaいとうさわこ●都内に住む3歳になった息子と共に成長期を謳歌するホルモン減退気味のアラフォーです。結構真剣に若年性更年期を心配し、がん検診の問診時に婦人科で相談したら、年齢を重ねているのに若い頃と同じ生活をしていればそりゃ太る、とぶった切られました。ごもっともです。うんどうする(すでに心が折れ気味のひらがなでやんわり決意)。